空に歌えば――平和・人権・環境(13)

暮らしの質を問いかけながら
赤星秀一

 


覚めやらぬ 枕辺に 射しこむ 
オレンジ色の ひと筋に 誘われて
濡れた砂 染めてゆく 朝焼け
片寄せあって 渚に佇んでいる
    目覚めたままで 夢見て過ごす
美しさに宿る 湧き上がるよろこび
はじまりのとき













 赤星秀一は鹿児島在住のミュージシャンだ。
高校時代に高石友也の受験生ブルースを聴き、歌うことへの憧れを抱いていた赤星は、鹿児島大生の時、大学がロックアウトになったのでフォークソング同好会に入り歌い始めた。一方には労音やうたごえサークルがあり、他方では高石友也、五つの赤い風船などフォークソングの全盛で、ビートルズやローリング・ストーンズなど、ポップスやロックが世界を席巻していた時代だ。赤星もフォークやポップスの影響を受けながら、中央公民館やライブハウスで歌い始めた。大学のサークル棟を解放して、労働者も一緒に「解放区」で歌う試みもし、気がつけば環境問題(当時は公害問題が主)や有機農業提携や反原発運動に取り組むようになっていた。
 大学卒業後、結婚した女性と一年ほどフランスに住み、フランス革命の活動家たちも田舎に住み、有機農業、反原発、持続可能な分散型エネルギーの普及活動に取り組んでいることを知り、自分の生き方に確信を得て日本に戻ってきた。
 長崎県諫早市のライブハウスを拠点に各地で歌った。二人の仲間とバンドを組み各地で歌った。一九八六年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに暮らしを見直す機運が高まる中、一九八八年に八ヶ岳における「いのちの祭――ノーニュークス・ワンラブ」に参加、続いて大山、名古屋で開かれた祭に参加し、全国の仲間たちと反原発運動を展開して行った。
長崎時代の代表作は、今も歌う「丘を抱いて」を初め、他に「錬金術師の夢」「南の風がよく合うみたい」「みどりなす」「よつゆ」「まつり」「周辺飛行」「じいさんの歌」など。これらを収録したテープを製作した。ジャケットは絵描きの連れ合いが描いたものだ。
 その後一九九〇年に鹿児島に戻って自然食レストランを開いた。店はライブもする傍ら、反原発をはじめ反戦平和、ゴミ問題、有機農業運動などあらゆる活動の拠点となり、奄美のくろうさぎで知られる「自然の権利裁判」の事務局も引き受けた。赤星自身は国労弾圧への闘いにも参加。「草の根通信」を発行していたノンフィクション作家・故松下竜一に多くを学び、九電前で歌う姿が表紙を飾ったこともある。
 「いろんな運動にかかわってきましたが、集会で歌うことも、ライブハウスで歌うことも、また原発に反対し、持続可能なエネルギーや有機農業をすすめることも、すべてが地続きで自分にとっては同じ意味を持っています。むしろ自分自身が『命が大事』というコンセプトの<一つの運動体>として、人と人を繋いでいく存在であり続けたい。オルタナティブな生き方を求める若い旅人が、必ず店に立ち寄って南の島に渡っていく、そんな繋がりも大切にしていきたい」。
 二〇〇六年から、長い付き合いのミュージシャンと三人で「赤星秀一バンド」としてライブをしている。近年歌っているのは「朝焼け」「丘を抱いて」「オアシス」「友よ」「光の暗号」などだ。「水はひとつ」では次のように歌う。

想い受け止め 想いすまして
水に流す 水はひとつ
窓辺にて聞く
しとやかな雨

空に浮かび 闇を流るる
命行き交う 水はひとつ
窓辺にて聞く
しとやかな雨

 九・一一以後の戦争への流れは急速かつ圧倒的であった。しかし、各地で平和を求める運動がたゆまぬ努力を続けている。鹿児島でもさまざまな試みが続いてきた。二〇〇三年に始まったイラク戦争に抗議するキャンドル・ナイトの平和行進も行った。
また、鹿児島県郡山町(現在は合併して鹿児島市)の寺に、アフガニスタンの仏舎利が安置されている。紀元二~三世紀のものと言われる。数年前に鹿児島に持ってこられたが、もとはタリバーンの弾圧時代にアフガニスタンから流出した文化財であろう。戦争で失うものは多い。戦争から必死に逃れて川のほとりで休憩する人々。友人や子どもを亡くした人々。赤星は戦乱のアフガンやイラクに思いを馳せ、平和への祈りをこめて歌う。
 「戦争に協力しないために、それぞれ考えなければ。憎しみに駆り立てられたり、自分の中に棘を抱え込んでしまうのではなく、平和を創るために、いのち、地球、緑、環境、国境、地域について立ち止まって考えるべきでしょう」。
 権力のチェックも重要だ。市民運動が担ってきた個別の課題とともに、権力を小さくしていく取り組みだ。権力は肥大化すればするほど生産性があがるかもしれない。しかし、市民がそれぞれ手元でちゃんと権力を見ておかないと、肥大化し暴走する恐れがある。肥大化した権力は<正義があっても正義にならない>。
 国家権力だけではない。不正な権力に異議申し立てする運動も、自らの足元を見定め、きちんとコントロールしていないと、思わぬ形で個人を傷つけることになる。
 こうした射程で考え、鹿児島で自然食レストランを続けながら、春には「アース・デイ」に取り組み、秋に毎年「生命の祭」と称して、有機農業者たちとともに豊作祭に取り組むようになって二〇年になる。また、地域のあり方を考え行動するために作った南方新社(出版社)などと模索しながら活動の輪を広げている。反戦平和の運動も、つねに地域のあり方や自分の暮らしの質を問うというスタイルで取り組んでいる。

足元の ざわめきに 驚く 
多くの営み 同じだけの慈しみ
打ち寄せる波静か 凪のとき 
小船を出そう 太陽の道 黄金色
   目覚めたままで 夢見て過ごす
美しさに宿る 湧き上がる憧れ
はじまりのとき


Candle Night

 

揺れる炎は 瞳 虜にし いざなう
ほのかに満ちる 蜜蝋の香りかぐわし
見果てぬ夢 共に 寄り添えば
祈り生まれ 時に 響きあう
 流れてゆけ 世界の果てまで 流れてゆけ

燃ゆる想いを 静める術(すべ)解き 旅した
遥かとき超え 語り伝えられた仏舎利
遠き地より 戦火 くぐりぬけ
月をかくす砂塵 紛れ込んで
密やかにこの森の中 眠りて
  流れてゆけ 世界の果てまで 流れてゆけ

果てることなく 広がり続ける宇宙の
結んでは解け 集まり散りゆくさだめに
儚きものへ 共に 想いのせ
時の満ちて 喜び 結ぶまで
  流れてゆけ 世界の果てまで 流れてゆけ
  流れてゆけ 世界の果てまで 流れてゆけ

 

南の風

南の風が お前には よく合ったみたい
生まれる前の 海をさまよった
痛みは 大きく のしかかり
やがては 泉になり 雑木林になる

南の風が お前には よく合ったみたい
荒くれ者たちの 酒場で
お前の頬は 赤く燃え
やがては 水面の鳥 一緒に飛び立つ

南の風が お前には よく合ったみたい
旅人は 荷物をおろしてく
大事なものだけを 残して
やがては 年をとり しわのよった子ども

南の風が お前には よく合ったみたい
南の風が・・・

マスコミ市民2008年8月