月刊民商
知られざる軍隊のない国家
――いまこそ憲法第九条の輝きを世界に広げよう
隣の国には軍隊がない
「日本の隣の国には軍隊がない」などと言うと、何を冗談をと思われるかもしれない。しかし、太平洋のミクロネシアはまさにお隣さんだ。
ミクロネシア地域は、ミクロネシア連邦、パラオ共和国、マーシャル諸島共和国と三つの国家に分かれた。かつて国際連盟の委任統治領として日本が支配した地域であり、日系人も多い。各国とも日系人が大統領になったことがある。
チューク島、ポンペイ島、ヤップ島などから成るミクロネシア連邦は軍隊を持たないが、一九七九年のミクロネシア憲法は世界最初の非核憲法でもある。パラオは沖縄から目と鼻の先にある。一九八一年のパラオ憲法の非核条項も有名だが、アメリカとの自由連合協定のため非核憲法が空文化している。米軍が駐留しているわけではないが、港を使用できることになっているからだ。他方、ミクロネシアの非核条項は生きている。核兵器だけではなく原子力施設等も禁止されている。マーシャル諸島にも軍隊はないが、米軍基地がある。また、ビキニ水爆実験で知られるように米軍の核実験場とされた歴史をもつ。「太平洋の真珠」と呼ばれる美しい珊瑚礁国家だが、ヒバクシャを抱える国でもある。
ところで、軍隊のない国家がいくつあるかを数えるためには、定義を明らかにしておかなければならない。第一に、国家とは何か、第二に、軍隊とは何か。
たとえば、クック諸島は国連に加盟していないし、日本政府は国家として承認していない。しかし、国連加盟の有無は国家の要件とは関係ない。スイスが国連に加盟したのはごく近年のことだが、もともと国家でなかったとは誰も言わない。フランスや中国はクック諸島を承認している。何より「太平洋諸島フォーラム」の一員であり、南太平洋非核地帯条約や子どもの権利条約の当事国である。国際社会における国家承認の度合いから言って微妙なところであるが、ここでは国家として扱っている。
軍隊の定義も容易ではない。軍隊と準軍隊の区別、軍隊と警察軍の区別は相対的にしか決まらない。「軍隊を捨てた国」として有名なコスタリカにも軍隊があるのではないかといった疑問が提起されるのも、定義の不明確さに一因がある。
理論的には、国家主権の対内的行使をする実力装置が警察であり、対外的行使をするのが軍隊であるが、国境警備隊などとの区別にならない。国際法上の交戦権の主体となるのが軍隊だが、警察軍も同様の地位を獲得しうる。戦力の規模で区別することが無意味であることは、日本国憲法第九条の戦力概念を日本政府がいかに融通無碍に解釈してきたかを見れば明らかである。スイスのNGO「軍縮を求める協会」コーディネーターのクリストフ・バルビー(弁護士)は、基準として三つの要件を掲げている(憲法がどう規定しているか、軍事組織の存否、武器装備等の存否)。
バルビーによると、世界には軍隊のない国家は二七もある(国連加盟国は二五)。コスタリカやパナマのように憲法に戦力不保持を明示している例は少ないが、軍隊を持っていない国家は少なくない。「国家は軍隊を持つのが当たり前」という通念は改める必要がある。
ミクロネシア――ミクロネシア連邦、パラオ共和国、マーシャル諸島共和国、キリバス共和国、ナウル共和国
ポリネシア――サモア独立国、トゥヴァル、クック諸島、ニウエ
メラネシア――ソロモン諸島、ヴァヌアツ共和国
インド洋――モルディブ共和国、モーリシャス共和国
欧州――リヒテンシュタイン侯国、アンドラ公国、サンマリノ共和国、ヴァチカン市国、モナコ公国、アイスランド共和国
中米・カリブ海――ドミニカ国、グレナダ、セントルシア、セントヴィンセント・グレナディンズ、セントクリストファー・ネヴィス、ハイチ共和国、パナマ共和国、コスタリカ共和国
筆者は、バルビーが掲げている軍隊のない国家を現地調査してきた。二〇〇五年夏に始めて、これまで二〇ヶ国を訪問して調査した(前田朗「軍隊のない国家」『法と民主主義』四〇二号以下に二〇回連載中、同「軍隊のない国家を訪ねて」『週刊金曜日』六五二号)。
軍隊のない国家の特徴
これらの諸国の分類整理はまだできていないが、いくつかの特徴を指摘しておこう。
第一に、もともと(長い間)軍隊を持っていない国である。アンドラは、フランスとスペインの間のピレネー山中にあり、一二七八年の独立以来一度も軍隊を持ったことがない。一九九三年憲法には「七百年の平和の旅」とある。サンマリノは、現存する世界最古の共和国であり、一六世紀頃から軍隊を持っていない。ティターノ山頂に城塞都市を築いて、外敵とは国民一丸となって戦ってきた。モナコは、一七四〇年頃から軍隊を持っていない。アイスランドは、一九一八年にデンマーク王国から独立した際に史上初の非武装永世中立国になった。その後、永世中立を放棄したが、今日にいたるまで非武装である。ヴァチカンは、一九二九年に独立国家となった時から軍隊を持っていない。
第二に、軍隊が国民を殺害したために廃止した国がある。コスタリカは、一九四八年の内戦のため国民同士が殺しあう悲劇を体験したので、一九四九年憲法で常備軍を廃止した。ドミニカ国(ドミニカ共和国ではない)は、一九八一年に軍隊の一部と連携した反政府勢力がクーデタ未遂を起こし、国民を殺害した。クーデタを防いだ政府は軍隊廃止法案を議会に提出し、これが採択されて軍隊が廃止された。ハイチは、悲惨な内戦に国連が介入して武装解除された。
第三に、集団安全保障体制を結んだ国である。東カリブ海の西インド諸島にあるドミニカ国、グレナダ、セントルシア、セントヴィンセント・グレナディンズ、セントクリストファー・ネヴィスは、同じ地域で軍隊を保有するバルバドスなどと東カリブ集団安全保障体制を構築している。集団安全保障は軍隊を保有する国家間だけに成立するという議論が事実に反することは明らかである。
第四に、外国軍によって占領されて軍隊が解体された国がある。グレナダは、一九七九年に成立した親社会主義政権に対してアメリカが体制転覆を試みた。一九八三年に米軍がグレナダ侵攻を行って旧政権を抹殺した。この時に軍隊が解体された。現在、警察軍が治安維持に当たっている。パナマは、一九八九年に米軍がノリエガ政権の独裁を打倒すると称して侵攻した。パナマ運河の利権確保が真の目的と言われる。このときに武装解除され、後に一九九五年憲法で軍隊廃止を明記した。外国軍によって占領されて軍隊が解体した点では日本が先輩格であるが、自衛隊創設以来、事実上の再軍備、そして軍拡が続いているので、グレナダ、パナマと日本は別の道を歩んだ。
第五に、外国との自由連合協定下にある国である。ミクロネシア、パラオ、マーシャルはアメリカと自由連合協定を結んでいる。クック諸島とニウエはニュージーランドと自由連合協定を結んでいる。モナコとフランス、サンマリノとイタリアの関係もこれに類するといえよう。在日米軍による「半占領」状態の日本はどこが異なるのであろうか。
第六に、非武装永世中立の国である。アイスランドは独立時に非武装永世中立となったが、第二次大戦時に、ナチスの進出を危惧したイギリス・アメリカが占領した。大戦後、NATOに加盟したので永世中立は放棄された。コスタリカは憲法で常備軍を廃止し、積極的平和主義の外交路線を採用し、非武装永世中立国として知られる。
第七に、非核憲法をもつ国である。ミクロネシア憲法は史上初の非核憲法であり、パラオ憲法がこれに続いたが、パラオ憲法の非核条項は生きていない。他方、南太平洋諸国は、クック諸島の首都ラロトンガで南太平洋非核地帯条約を締結した。ラロトンガ条約とも呼ばれる。締結国のうち軍隊を持っていないのは、サモア、クック諸島、ニウエ、トゥヴァルなどである。太平洋では、アメリカがマーシャルのビキニ環礁などで、フランスがタヒチのムルロア環礁で核実験を繰り返してきた。これに対して南太平洋諸国はラロトンガ条約に結集した。
憲法第九条を世界に
軍隊のない国家の調査を始めて二年になる。これまで二〇カ国を調査して、各国の歴史や憲法、あるいは文化や各種のエピソードを紹介してきたが、まだ七カ国残っている。軍隊のない国家の総論的なまとめは二七カ国全部を調べてからにしようと思っているが、この間、寄せられた疑問に答えておきたい。
軍隊のない国家といっても、小国が多く、経済力がなかったり、地政学的に見ても必要性がないので軍隊を保有していないだけであって、他の諸国にとって参考にならないのではないか。とりわけ日本にとって参考にならないのではないか、という見解がある。
しかし、問いの立て方そのものが違っている。
第一に、国連加盟国一九二カ国のうち二五カ国が軍隊を持たないという事実そのものに大きな意味がある。「国家は軍隊を持つのが当たり前」という通念がまったく誤りであることを明白に実証したからである。日本ではこれまで、軍隊を持たない国家といえば一般にコスタリカしか知られていなかった。議論の前提となる基礎知識が誤まっていたのだ。個別の諸国が参考になるか否か以前に、これだけまとまった数が存在していることに意味がある。
第二に、軍隊を持たないという事実だけが問題なのではない。これらの諸国がいかなる歴史を有しているのか。どのような外交政策を採ってきたか。教育や市民社会のあり方はどうなのか。こうした点に目を向ける必要がある。たとえば、奴隷解放の闘いといえば、日本ではアメリカ合州国のリンカーンの名とともに記憶されているが、東カリブ諸国の博物館や歴史教科書を見れば、自由と平等を求める奴隷制との闘いの歴史が鮮明に打ち出されている。グレナダが奴隷解放を勝ち取ったのは一八三八年のことで、リンカーン以前である。また、軍隊を持たない国家が平和的外交手段によって地域の平和と安全保障を確保している努力こそ重要である。軍事力による脅迫外交や経済力による札束外交しか経験のない日本とはまったく異なる。
第三に、「軍隊のない国家に学ぶ」という側面だけを問題にするのはいかにも不十分である。日本には憲法第九条があるのだから、本来、日本は諸外国に学ぶ立場ではないはずだ。諸外国が憲法第九条に学んできたかどうかが問題である。逆に言えば、日本政府が憲法第九条を守ろうとせず、骨抜きにしてきた歴史、そして「憲法第九条を世界に輸出してこなかった不作為」を反省する必要がある。というのも、右に紹介した軍隊のない国家は、憲法第九条と何の関係もないからである。それぞれの歴史の中で軍隊のない状態になってきたのである。「憲法に軍隊を持たないと書いてあるのに軍隊を持っている世界で唯一の国」という恥ずべき状態を作り出してきた責任を考えるべきである。
日本政府だけが怠慢だったわけではない。私たち平和運動も、憲法第九条の実践的意義を十分に活用してきたとは言いがたい。憲法第九条が世界の現代平和主義の中核に位置づけられ、多くの諸国が憲法第九条に学ぶようにしていかなくてはならない。
安倍政権は憲法改悪を目指して強引な運営を続けてきたが、憲法第九条こそが現代平和主義の柱石である。国内における平和運動・護憲運動をいっそう活性化させ、憲法第九条の輝きを世界に発信していくことが重要である。