非国民がやって来た!(31)
不服従の水脈を探る(1)
非国民の世界と非暴力・非武装・無防備の平和力とがオーバーラップするのは、近代国家が暴力を独占して、合法的粉飾を与えることで正当性を獲得してきたからです。
警察、検察、裁判所、監獄(刑事施設)は、権力が個人を収監し、時には処刑する実力装置ですが、刑法や刑事訴訟法という民主的な法体系によってつくられているので正当だと信じられています。いったん正当な地位を手にすると、とんでもない無法なことも平気でやります。名古屋刑務所が収容者を虐殺したのはその一例です。
民主的で正当な実力装置が、適正な手続きで「犯罪」を認定すると、被告人は「犯罪者」とされ、さまざまな人権を剥奪されます。人間であることに変わりないのに、犯罪者は実は人間扱いされない不条理が、日本ではいまだにまかり通っています。
近代国家が「犯罪者」として狩り出すのは主に2つの犯罪にかかわった人間です。
第1は、殺人、強盗、窃盗、詐欺など、他人の権利を侵害した者です。犯罪を取り締まり、犯罪者を処罰することによって、国家は、犯罪者以外の市民の権利を守るのです。「国家が私たちを守ってくれる」という論理が成立します。
第2は、外患罪、内乱罪、公務執行妨害罪など、国家の存立や秩序を乱した者です。国家秩序そのものの防衛です。日本刑法には、朝憲紊乱罪という大時代的な犯罪もありました。さらに、国家権力が肥大化した時代や、国家を私物化する勢力がはびこる時代には、大逆罪、不敬罪、治安維持法など、天皇制そのものを絶対視した犯罪がつくり出されます。
肥大化した国家や私物化された国家は、民主的な正当性を失ってしまいます。市民の信頼が失われた時、国家が自己防衛するために非国民を必要とすることになります。ここに非国民の秘密があります。
正当性を失った国家を前にした人々は、疑問を感じ、批判を口にし、支配に抵抗しようとするかも知れません。
この時、国家にとって都合がよいのは、闇雲に暴力的な反発をする反乱分子がわずか存在することです。国家転覆だ、革命だと唱えて一揆主義的に暴発する分子を、犯罪者、非国民として徹底取締りをすることで、国家は正当性を回復することができるからです。暴力犯罪を未然に防ぐことは市民の期待にかなっているので、国家の自己防衛が、市民の権利保護であるかのような錯視がまかりとおります。
他方、暴力に訴えない不服従による抵抗もあります。これは国家にとっては厄介な存在です。非暴力の不服従で、言論によって、肥大化した国家や私物化された国家の本質を暴かれることは許せない「犯罪」です。さまざまな方策が採られます。懐柔もあれば買収もあります。応じない者に対しては挑発して暴力に走らせるのが一番です。大逆事件を捏造して、危険な非国民の存在をアピールすることは国家の十八番といってもよいでしょう。
非国民がやって来た!(32)
不服従の水脈を探る(2)
権力の横暴に抵抗する手段はさまざまです。近代国民国家が国境を画定する以前は、権力の及ばない地域へ逃げることもできました。近代国家以後は難民と呼ばれます。逃げることができなければ、暴力か、非暴力による抵抗を選ぶでしょう。非暴力抵抗は古くからありました。西欧の著作ではイエス・キリストに遡るのが一般的です。東洋やイスラム世界にも非暴力の歴史があるはずです。
近代の事例としては、たとえばイタリア出身フランス国籍でマハトマ・ガンディの弟子となったランザ・デル・ヴァストは「西洋の両極に偉大な使徒がすでにおり、一人はアメリカのソローであり、もう一人はロシアのトルストイであった。それに、イギリスのジャン・ラスキンを加えることもできる」と述べています。ガンディの思想はこの3人から汲み上げられたのだそうです。
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(1817年~1862年)は、マサチューセッツ州ボストン近郊のコンコードに生まれました。1837年にハーバード大学を卒業して教師になりましたが、授業で鞭を使わない方針を批判されて辞職しました。兄と私立学校を設立し、講演活動に精を出します。1845年から47年にかけてウォールデン湖畔で暮らした記録『森の生活』(1854年)も有名です。
「軍隊に対する不平不満の声が満ちていて、深刻な問題になってきていますが、やがてその不満が政府に向けられるのは、自然の成り行きでしょう。軍隊は政府の腕にすぎません。政府は、国民が自らの意思を実行するために選んだ方法にすぎないのですが、それを通して行動する前に、軍隊がそうであるように、悪用され、本来の目的からそれてしまいがちです。現在のメキシコ戦争をよく見てください。あれは政府を自分の道具のように使っている少数の個人がやっていることです。国民はあんなやり方に、はじめは同意していなかったはずです。」
ソローは奴隷制や政府の独断的な戦争に反対しました。1846年、不当な人頭税に反対して納税を拒否したために逮捕されたソローは、納税拒否の理由を論文にまとめ、講演で市民に説明しました。この論文がソローの死後「市民的不服従」と題して出版され、不服従の思想の古典となっていくのです。
<文献>
ランザ・デル・ヴァスト『反暴力の手法』(新泉社、1980年)
ソロー『市民の反抗』(岩波文庫、1997年)
ソロー『一市民の反抗』(交遊社、2005年)
非国民がやって来た!(33)
不服従の水脈を探る(3)
文豪トルストイは平和主義とロシアの農奴解放に力を注ぎました。トルストイの思想の本領が発揮されたのが、ドゥホボール救出活動です。
19世紀末、ロシアのカフカース地方に徹底した平和主義を信条とする宗派がありました。聖霊派と称し、偶像崇拝や地上の権威(皇帝、教会)を否定したため、異端として弾圧され、皇帝権力によって強制移住させられ、指導者はシベリアへ流されました。利潤や私有財産にも疑問を持ち、財産を共有していたといいます。
ロシアは徴兵制をしいて若者を軍隊に採用していました。カフカースにも徴兵制がしかれ、ドゥホボールの若者も兵士にならざるをえませんでした。
若き指導者ピョートル・ヴェリーギンも、1887年、流刑に処されました。ヴェリーギンは、トルストイの平和主義に学びながら兵役拒否を貫こうとします。流刑先から「すべての武器を焼け」と指示を出します。
1895年6月29日、ペテロとパウロの命日に当たるこの日、オルロフカ村、スパコエ村、スラヴャンカ村のドゥホボールたちは、山積みにした薪に灯油を注ぎ、マスケット銃、ライフル銃、サーベル、短剣などの武器を焼き払ってしまいました。
帝国臣民の義務である兵役拒否ですから、以前にも増して徹底的な弾圧が始まります。強制移住、殺害、投獄、拷問。ドゥホボールはありとあらゆる辛酸を嘗め尽くします。惨状からドゥホボールを救うべく奮闘したのがトルストイです。迫害の悲惨さを国際世論に訴えました。救援の世論が盛り上がります。しかし、ロシア帝国も譲るわけにはいきません。そこでドゥホボールはカナダへ移住することにしました。トルストイは小説『復活』を書いて、その印税を移転費用にします。国際的な募金活動で資金を集めます。
1898年12月23日、バツーミ港を出港したヒューロン号は、2140人のドゥホボールをのせ、1899年1月23日、セントジョン港に着きました。4陣の船旅で7501人のドゥホボールがカナダに移住しました。1902年には流刑をとかれたヴェリーギンもカナダに渡りました。
カナダのブリリアントに居住するドゥホボールの子孫は、アメリカのアフガニスタン空爆に反対する手紙をカナダ首相に送りました。
<文献>
木村毅『ドゥホボール教徒の話――武器を放棄した戦士たち』(恒文社、1979年)
中村喜和『武器を焼け――ロシアの平和主義者たちの軌跡』(山川出版社、2002年)
非国民がやって来た!(34)
不服従の水脈を探る(4)
西欧における兵役拒否には長い歴史があります。
そもそも旧約聖書出エジプト記の「汝、殺すなかれ」をはじめとして、「平和を創りだす人たち」の記述があり、古代キリスト教会は、神への絶対的服従のためにも兵役協碑を選びました。
ところが、ローマ帝国がキリスト教を公認すると、帝国による保護と引き換えに、教会は信者に兵役につくことを勧め、やがては義務であると唱えるようになりました。へ家益を拒否した信者は破門されることすらありました。境界は、聖職者の兵役拒否を特権として維持しながら、一般信者には兵役を義務付ける道を選びました。
16~17世紀頃、宗教戦争の時代になると、再洗礼派、クエーカー派、ブレズレン派などの平和主義が登場し、戦争拒否を貫こうとしました。
近代国家は国民軍を創設し、徴兵制を採用したので、市民は軍務に服することで国家への忠誠を示すことが求められるようになりました。少数のキリスト者が兵役を拒否していましたが、これが重大問題となったのが第1次世界大戦です。史上初の総力戦遂行過程において、イギリスでもアメリカでも、それまでになく多数の兵役拒否が出たからです。
第2次大戦ではさらに多くの兵役拒否が出ました。イギリスやアメリカでは、兵役拒否の申請を認められた者も多数いますが、認められなかった者は死刑、懲役、罰金などの刑罰を受けています。ドイツでも、エホバの証人は、1万人が逮捕され、1000人が死刑、1000人が収容所で亡くなったといいます。こうした歴史を踏まえて、第2次大戦後、兵役拒否が権利として認められるようになり始めます。
現代における市民的不服従としての兵役拒否を詳細に研究した市川ひろみ『兵役拒否の思想』は、現代における兵役拒否を4つの類型に分けています。
①自由主義的兵役拒否――個人の良心の自由を保障するべきだという自由主義的な考え方による兵脇拒否
②代替役務型兵役拒否
③民間役務型兵役拒否
④選択的兵役拒否
<文献>
阿部知二『良心的兵役拒否の思想』(岩波新書、1969年)
市川ひろみ『兵役拒否の思想』(明石書店、2008年)