内から見た日本
――日本における植民地主義と“自己植民地主義”


1 植民地主義と“自己植民地主義”

 「日本における植民地主義と“自己植民地主義”」という副題を掲げました。“自己植民地主義”というのは聴きなれない言葉です。社会科学的な用語ではありませんが、今日の報告では植民地主義と“自己植民地主義”の相克という観点から現代日本について考えてみたいと思います。
 まず「日本における植民地主義」については説明するまでもありません。近代日本が蝦夷、琉球を手始めに、台湾、朝鮮、そしてアジア各地へと触手を伸ばしていった植民地化の歴史を追跡することはここでは割愛します。
 ただ、確認しておきたいのは、「歴史としての植民地主義」とは区別される意味で「意識としての植民地主義」、あるいは「現在の植民地主義」について検討しなければならないことです。
換言すれば、植民地支配や戦争の歴史についての認識ですが、植民地支配や戦争への反省の欠如、従って植民地意識の残存という問題があります。日本が「脱植民地化過程」をどのように潜り抜けてきたのか、あるいは潜り抜けてこなかったのかという問題です。
 そのことが、戦後における植民地意識の再生産を見事に現実化させたわけで、人種差別、排外主義も含めて、長い間、日本社会の根底に潜み続けてきました。
 いま「日本社会」と言いましたが、私の報告では、日本国家と日本社会とを相対的に区別します。しかし、言うまでもなく両者は区別されるべきものであると同時に、容易に切り離すことのできない、密接な連接を有する存在です。植民地主義という問題圏において、日本国家と日本社会とがどのような構制で語られるべきなのかも注意していきたいと思います。
 戦後において再生産されてきた植民地意識はそのものとして「ある」わけですが、さらに私
たちは、現在において、東アジアの新しい情勢の中でつくられている植民地主義も見ておく必要があります。アジアにおける「権益擁護」論という形の植民地主義でして、在外邦人ではなく、在外「法人」を守るための戦略的思考なるものがそれです。
  さらに言えば、今日では「ライバルとしてのアジア」という現実が見えてきているだけに、かつて見下し、支配してきたアジアがライバルと化しつつあることから、もう一つゆがんだ植民地主義が登場してきていると考えられます。
 次に“自己植民地主義”です。この奇妙な言葉で表現しようとしているのは、もちろん戦後、現在にまで至るアメリカによる「日本植民地化」と、それに対応する日本社会の意識のことです。
  歴史的には明治以来の脱亜入欧の近代があり、昭和における「近代の超克」の失敗が続くわけですが、その結果として米軍による占領と民主化と安定の歴史を迎えることになります。連合国による占領といっても実態はアメリカによる単独占領に近かったわけですし、日本社会の受け止め方もそうでした。しかも、自由の指令、憲法改正をはじめとする戦後改革、まぶしすぎるほどのアメリカ文化の流入などにより、自由と民主主義を与えられた日本社会は、それまでの“鬼畜米英”から、ひたすらアメリカ・ファンクラブへと見事に転進したわけです。
  自由や民主主義や文化だけに着目すると本当のところが隠されてしまうわけで、実際には日米安保条約の縛りがあるのです。日米安保条約の半世紀を経て、アメリカ抜きに自立できない国家が完成し、対米追随の社会意識が定着してきました。しかも、そのことを日本社会は疑いを持たず、むしろ歓迎しているほどです。沖縄をはじめとして迷惑施設を押し付けられた地域は別として、日本社会はアメリカの“植民地になりたがる精神”に充満しているのです。
  植民地主義と“自己植民地主義”の相克、葛藤――その歴史的意味を見定めることが私の報告の課題です。ただ、果たして両者は相克、葛藤しているのか。それとも単にすれ違っているのかも、なお疑問として残っているのが実情です。
  しかし、日本社会の意識という面だけではなく、より大きな視野で、五〇〇年にわたる近代のプロジェクトとしての世界分割を経て、世界的に続けられた脱植民地化過程――宗主国の脱植民地化過程と被植民地国の脱植民地化過程、そして「新植民地主義」までを含めて見通しながら考えておく必要があります。
 二〇〇一年八月末から九月初旬に南アフリカのダーバンで開かれた人種差別反対世界会議は象徴的でした。私は他のNGOメンバーとともに、「ダーバン二〇〇一日本委員会」としてこの会議に参加しました。
 ダーバン会議は国連主催の三回目の人種差別反対世界会議でした。最初の二回は旧宗主国側と旧植民地側との見解が先鋭に分かれたために、結局のところ成果を挙げることができなかったのですが、三回目のダーバン会議において、ようやく植民地時代の反省が正面から議論されました。ダーバンに集まった多くのNGOや、アフリカ、カリブ諸国は植民地支配の清算を求めてさまざまな活動を行ないました。政府間の本会議では、アフリカ・カリブ諸国がケニア政府などを先頭に団結して植民地支配の責任を追及しました。これに対してJUSCANZグループ(日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)が、何とか調整しようとしたのです。植民地支配の最大の責任者であるイギリス、オランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガルなどはJUSCANZグループの後ろに隠れていました。日本政府がむしろ先頭に立っている有様でした。二転三転した結果、二〇〇一年九月八日にまとめられたダーバン宣言と行動綱領は、植民地時代における奴隷制は人道に対する罪に当たることを認めるが、その補償を義務付ける文言は含めない形で決着を見ました。
 妥協の結果とはいえ、国連の歴史上初めて、奴隷制は人道に対する罪であったと認めたことは大きな前進でした。ところが、その三日後、私が帰国して時差ぼけで熟睡している間に、ニューヨークで世界貿易センタービルが崩壊し、ブッシュ大統領の「テロとの闘い」と称する「宗教戦争」「人種差別戦争」が噴出することになったのです。ここから「新植民地主義」がひそかに胚胎していきます。五〇〇年にわたる近代のプロジェクトの犯罪性の確認からわずか三日後に、歴史は暗転したのです。
 五〇〇年の歴史をここで振り返る余裕はもちろんありません。問題点を指摘するにとどめますが、日本における植民地主義の両義性、そのねじれを見ていきたいと思います。おそらく、この両義性は、日本社会にとっては“複雑骨折”とでもいった表現が的確なのではないかと考えていますが。

2 “自己植民地主義”の確立・定着

 最近の日米関係を出発点として考えていきます。「九・一一」の後、「テロとの闘い」と称する「永久戦争」が強行されています。アフガニスタン攻撃、そしてイラク攻撃が二一世紀の平和を願う声を押しつぶしています。日本はアメリカの忠実な番犬、しかも尻尾を振るだけではなく、資金を提供する番犬としてひたすら忠誠を示しています。普通、資金を提供するのはご主人様のはずなのに。
 この間の米軍基地再編問題や基地移転費用問題を見ると、日米関係は「外交」とか「国際関係」とよばれる事態とはおよそ無関係だということがわかります。宗主国と植民地の関係という以外にこの現実を把握する方法はないのではないでしょうか。小泉純一郎首相は「日本総督」と肩書きを変えたほうが正しい。
 米兵犯罪の扱いを見ても、これは永年の間続いてきましたが、やはり日米関係は上下関係でしかなく、日本人はアメリカ人に比して「一人の人間」とは看做されていません。日本政府自身が日本人を一ランク下に位置づけているのですから、日本社会にもそうした意識が普及していきます。アメリカ人を一ランク上に位置づける社会は、日本人よりも下の人間を必要とします。在日中国人や朝鮮人が好都合な存在として呼び出されることになります。同時に、日本人の中にも細かなランク分けを持ち込みます。出身地、職業、性別から趣味や成績に至るさまざまな等級が定着します。「格差社会」という言葉が流行していますが、これは一貫してこの社会を規定してきたのであって、小泉改革によって生じた現象ではありません。
 昨年の「九・一一選挙」に見られる情報戦も、最近ではアメリカの改革要求を丸呑みしただけであることが明らかになっています。郵政改革や金融改革といっていますが、ただでさえアメリカの言いなり状態の日本経済をますますアメリカの従属下に置くための改革であり、その改革プランはワシントンでつくられ、東京で実行されているわけです。
 しかも、重要なことは、日本社会がこうした現実をおおむね「歓迎」していることです。アメリカの言いなりで、自分で判断する能力のない首相が人気を誇り、同様にアメリカ詣でに励む政治家や官僚たちが政治、経済を左右しています。彼らが自分で判断するのは、靖国神社参拝のような、アジアとの関係で開き直るときだけです。
 今日の小泉政権に典型的な対米追随・アジア蔑視の「伝統」は、脱亜入欧の延長上にあるとともに、第二次大戦後に新たに形成されてきた政治配置と歴史意識です。
 第二次大戦の敗戦と占領、サンフランシスコ講和条約、日米安保条約、冷戦終結後の日米関係といった要因に規定されて、戦後日本は「アメリカの影」の中で生きることになります。換言すれば「アメリカの核の傘の下」です。基本がここにありますから、アジア蔑視はメダルの裏側ということになります。対朝鮮半島、対中国、そして対アジアのそれぞれの「気分」や「表現様式」は異なりますが、底流は同じといってよいでしょう。
 半世紀に及んだ対米追随・アジア蔑視の「伝統」は、今日では、経済的にはグローバリゼーションのもとの日米関係、国際政治的には「テロとの戦い」の日米同盟関係(実際には対等の同盟ではなく、親分子分関係)として進行しています。アフガニスタン戦争における米軍支援、イラク戦争における自衛隊派兵は、親分の手のひらで踊る子分の存在形態をよく示しています。
 このような現代日本国家と社会のあり様を、もう一度、植民地主義と“自己植民地主義”の文脈に据え直して考えてみたいと思います。
 第一に、日本国家の対外政策は、何よりも対米追随路線として邁進することになります。政治および経済の領域では、日米関係は国際関係でも同盟関係でもなく、支配・従属関係といったほうが適確に理解できるとさえ考えられます。
 それは極論であるとの批判もあります。特に、日本資本主義はそれなりに自己の利益を追求して行動しているのだという批判です。しかし、これでは反論とはいえません。日本資本主義がその利益に従って行動しているのは事実でしょう。問題は、日本資本主義の利益の具体的形態と内容は何によって規定されているのか。それは日本資本主義によって規定されているのかということです。資源の配分や市場の獲得という点に着目しても、アメリカ資本主義によって基本的な内容が規定されていることは明瞭です。
 同様に、日本資本主義の利害がアメリカ資本主義の利害に抵触した場合に、日米間に帝国主義国家間の対立という形で先鋭化するかという問題も指摘できます。そうならないのはなぜか、明らかでしょう。
 第二に、日本国家の対米追随は、経済関係にも見られるわけですが、それ以上に米軍基地再編問題にこれ以上ないほど明白にあらわれています。米軍基地再編の起動要因、その青写真形成、その具体的プラン、その経費に至るまで、すべてがアメリカ単独で準備・計画・立案され、結論が日本政府に上から押し付けられます。日本政府はアメリカの言いなりになるしかありませんから、政府が考えることは国民をいかにごまかすか、自治体をいかに黙らせるかしかありません。昔はマスコミをいかに黙らせるかが第一でしたが、最近ではマスコミは政府の広報機関と化していますから、そう苦労はありません。
 第三に、アジア政策は、対米追随とセットになっている面と、相手であるアジア諸国との歴史的関係や現在の利害関係などさまざまな要因に規定されています。そうした中で非常にわかりやすい形で政治問題となったのが首相の靖国神社参拝問題です。小泉首相の特異性が指摘されることもありますが、そういう理解では不十分です。小泉首相の行動や発言の異様さはたしかにその特異性をうらづけるものですが、そもそも首相の靖国神社参拝問題は中曽根内閣以来ずっと続いてきた政治問題です。
 従って、靖国神社参拝問題は日本政治の本来の問題として位置づける必要があります。ここでは、一つには、すでに指摘され尽くしているように、日本の戦時体制、戦争国家づくりとの関係があります。右傾化、ナショナリズムとして指摘されてきたことや、監視社会化の問題もつながっています。二つには、過去の戦争への開き直り、戦後補償の否定という欲求があり、歴史の偽造につながっています。戦争被害者への侮辱、とくに日本軍性奴隷制の被害女性に対するセカンドレイプ発言が飛び出します。三つには、靖国神社参拝は日本政治にとっての“代償行為”でもあります。ほかでは自分たちの思うようにならない、思うようにできない、言いなりにならなければならない、その状況から逃れるためです。四つには、対米追随との関係で言えば、“抑圧移譲”の機制を指摘できます。アメリカの言いなりになっている自分への自信回復、安定化のために、下にいるはずの他者への“抑圧移譲”を行なっているのです。だから、「心の問題」などと言い訳をしているにもかかわらず、取り巻きを連れ、マスコミを率いて大々的に参拝するのです。政治的パフォーマンスを通じて自己の“素晴らしき伝統、歴史、記憶”を心情において再形成する試みです。
 第四に、日本政府の国内政策も同様のゆがみを生じざるを得ません。対米追随とアジア蔑視の対外政策が国内問題に転化します。経済政策や政治改革自体がアメリカ由来です。文化やITも含めて、アメリカナイゼーションに引き裂かれた日本が、孤独に、不安定に(しかし一部政治家と官僚の心情においてはおそらく、堂々と)、佇んでいるのが現状といえましょう。
 日本社会の再編は、財政改革や金融改革だけではありません。地方自治体の強引な合併に見られるように、地域で、至るところで「改革」が進行しています。
 さらに、監視社会化の進行があります。住基ネット、監視カメラ、生活安全条例、ぽい捨て条例、禁煙条例、共謀罪法案、越境組織犯罪対策、入国管理法改悪、ICカードによる管理という具合に、権力による監視の網の目が急速に整備されています。
 しかも、多くの市民がそのことに疑問を持っていない。便利になる、清潔になる、サービスが迅速になる、と思い込んでいるのです。現代日本社会では、権力による監視は、必ずしも国家、警察、税務所といった国家暴力装置による監視だけを意味していません。各地の自警団、町内会による監視、住民自治の名による監視、銀行や商店街やコンビニの監視カメラなど、監視する市民と監視されたがる市民による“双方向監視社会”が完成に向かっています。
 “植民地になりたがる政府の監視されたがる市民”は、尊大でありながら卑小であり、豊かでありながら貧しく、内向きでありながら他者に対して不思議に攻撃的にもなります。“自己植民地主義”に反省のない社会は、自己責任による上昇と、他者への侮蔑を内面に蓄積していきます。国内においても対話や連帯ではなく、自己防衛と他者糾弾のメンタリティを育みます。対外的には、歴史の暗殺、和解の拒否、責任のすり替え、排外主義、人種差別に豊かなスペースを用意することになります。

3 日本はどこへ行くのか

  それでは日本はどこへ向かっているのでしょうか。
  長期的なスパンで考えるべきことではありますが、それだけの知識も準備もありませんので、ここでは日本のシナリオを、二一世紀初旬に限定して考えてみたいと思います。対照的な二つのシナリオを見てみましょう。
  第一は、対米追随の極限的進行、自衛隊海外派兵と武力行使、従ってアジアに対する軍事侵略というシナリオであり、これは日本の自滅にたどり着きます。対米追随を進めれば進めるほど、問題の把握の仕方から解決の方式に至るまで、米中関係や米朝関係など、アメリカとアジアの関係をベースにしなくてはなりませんから、日本外交自身による問題解決の可能性は消失していきます。これほどの経済大国であり、同時にすでに十分大きすぎる“軍事大国”である日本が、政治家や官僚の居丈高な発言にもかかわらず、東アジアの外交関係におけるカードを失っていくことなのです。資源や権益をなんとか維持するためにはアメリカとともにあることこそ重要だという発想では、日本はアジアの撹乱要因でしかなくなります。
  第二は、例えば最近数人の人たちが提案している東北アジア共同体論や、東北アジア非核平和条約の道、アジア人権機構の創設、さらにはアジア通貨の模索といったシナリオです。東アジア冷戦の終結を視野に入れたものです。このシナリオでは、アジア、東アジアにおける各国の対等・平等の立場での平和外交の確立が出発点となります。その中で、アジアにおける日本の積極的役割が期待されます。
  実は私はいささか悲観的に、現在の日本国家と社会は第一のシナリオを積極的に採用して、破滅への道を突き進んでいると考えています。日本だけが勝手に破産して、惨めな思いをするだけなら、それでも構わないかもしれませんが、そうはなりません。日本の自滅は、その過程においても、その結果としても、アジア各国にも重大な危機を惹き起こします。
  ですから、第二のシナリオに軌道修正しなければならないのですが、日本社会自身が、現在は、第一のシナリオを握り締めて離さないわけです。時間はかかると思いますが、軌道修正の努力を続けるしかありません。
  第二のシナリオは、もともと日本国憲法前文と第九条の道であり、平和憲法を実現する課題です。半世紀以上にわたって、憲法第九条に支えられてきた日本の平和運動はそれなりの豊かな歴史を刻んできました。その平和運動の意識が憲法第九条を支えてもきました。
  ところが、最近では日本社会の平和意識が大きく揺らいでいます。対米追随は「テロとの闘い」であり、朝鮮有事や中国有事に向けて軍事的関与を追及する意識が強まっています。周辺事態とか武力攻撃事態などと称しつつ、実際には「先制攻撃体制」を着々と準備しています。
  残念ながら現在の平和運動はこうした現実に直面して正面から平和の課題を掲げることすらできていません。言葉の上で「憲法第九条を守れ」と唱えるだけで、憲法第九条の内容を実現する運動にはなっていません。「憲法第九条を守れ」ということは、在日米軍完全撤去、そして自衛隊解体でなければなりません。こうした当たり前の課題が、日本の平和運動から消失して久しいのです。
  二〇〇二年から二〇〇四年にかけて、アメリカのアフガニスタン攻撃における戦争犯罪を裁くためにアフガニスタン国際戦犯民衆法廷(ICTA)という民衆法廷運動を日本各地で開催しました。アフガニスタン攻撃は侵略の罪であり、アフガン各地への爆撃は無差別爆撃であり、従って戦争犯罪であり、大量の難民を発生させたことは人道に対する罪であるという告発です。被告人はブッシュ大統領です。検事は日本やアメリカの弁護士が担当しました。判事は日本、インド、アメリカ、イギリスの五人の法律家に担当してもらいました。
  この運動のために、戦争被害調査が必要となったので、アフガニスタン戦争被害調査として九回の現地調査を行ないました。アフガニスタンの首都カブールは惨憺たる廃墟と化していました。ヒンドゥークシの彼方に抜けるような青空のアフガニスタン。アジア・ハイウェイの脇に落ちている壊れた戦車。地雷処理の進む砂漠。そして、砂埃の路上に座ったまま動かない人々がいました。頭からブルカをかぶり、幼子を抱えた女性たちが施しを求めて手を差し出してきます。地雷のために片足を失った人がたくさんいました。下半身を失って両手で歩いている人にも遭遇しました。米軍が投下したクラスター爆弾のために失明した少年に取材しました。一瞬にして家族一六人を亡くした少女もいました、クンドゥズの山間の村で家族を失った人たちにも会いました。カブール北部のベマル山麓の井戸からは通常の二百倍の放射能が検出されています。たった一回の爆撃が残した傷跡です。
  カブールで通訳をしてくれた青年医師は、ヒロシマ・ナガサキを知っていました。彼にとって、日本はかつてアメリカによって原爆投下の被害を受けた国です。今、アフガニスタンがアメリカの空爆を受けて大勢の人々が亡くなっている。そこへ調査にやってきた私たちに向かって、彼はヒロシマ・ナガサキについて語るのです。アメリカのアフガニスタン空爆に燃料給油をして協力している日本の私たちは、彼に向かって何を言えるでしょうか。
イラクも同じです。大量破壊兵器の嘘、イラク解放の嘘、さまざまな嘘を並べてイラク攻撃を強行したアメリカ。米軍兵士の犠牲者は数えられていますが、イラクの膨大な犠牲者の数は不明です。無差別爆撃、拷問、虐殺の嵐の中で苦悩するイラクの人々に対して、自衛隊が無法な占領に加担している日本の私たちは、何が言えるでしょうか。
 かつて朝鮮戦争、ヴェトナム戦争においても日本は米軍への加担を行ないましたが、現在の加担はその程度をはるかに大きく超えています。
 アジアの平和と安定を実現するために、日本のシナリオを変えることが不可欠です。あらためて市民の平和力を鍛えなおし、アジアにおける平和、友好、連帯の時代を模索し、グローバルな市民社会の形成を目指す闘いが不可欠です。

 

前田 朗(まえだ・あきら)

 1955年札幌生まれ。中央大学法学部、同大学院法学研究科を経て、東京造形大学教授(専攻:刑事人権論、戦争犯罪論)。日本民主法律家協会理事、在日朝鮮人・人権セミナー事務局長、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷ICTA共同代表、イラク国際戦犯民衆法廷ICTI共同代表。

主要著作/『鏡の中の刑法』(水曜社、1992年)、『平和のための裁判』(水曜社、1994年、増補版2000年)、『戦争犯罪と人権』(明石書店、1998年)、『人権ウオッチング』(凱風社、1998年)、『戦争犯罪論』(青木書店、2000年)、『ジェノサイド論』(青木書店、2002年)、『刑事人権論』(水曜社、2002年)、『民衆法廷の思想』(現代人文社、2003年)、『侵略と抵抗――平和のための戦争犯罪論』(青木書店、2005年)