月刊社会民主

日本型ピース・ゾーンをつくろう
    ――無防備地域運動の現状と課題

一 ピース・ゾーン運動のリレー
二 日本型ピース・ゾーン運動
三 無防備地域運動とは
四 無防備地域宣言とは
五 無防備運動の到達点 
六 今後の課題

一 ピース・ゾーン運動のリレー

 二〇〇四年春、大阪で新しいピース・ゾーン運動が始まった。一九八〇年代に故・林茂夫が提唱して種を蒔いた運動だが、二〇年の歳月を隔てて大阪の地に芽を出し、いま全国各地に根を広げている。
 二〇〇四年四月、大阪市の住民が無防備平和条例を求める直接請求運動を始めた。自治体に条例制定を求める直接請求運動は、一ヶ月間に有権者の五〇分の一以上の署名を集めなければならない。大阪市民は街頭に立って無防備条例の呼びかけを行い、市民と直接対話する中で平和の訴えを続け、法定必要数の一・六七倍の署名を集めて、大阪市長に署名を提出した。ところが、大阪市長は「条例制定の必要はない」旨の意見陳述を行った。大阪市議会も審議を尽くさず、無防備地域宣言が何であるのかも十分に理解しないままに、条例制定要求を否決した。
 しかし、大阪市民の挑戦は各地に影響を与え、広がり始めた。二〇〇四年秋には大阪府枚方市の住民が署名活動に取り組み、法定数の三倍を越える署名を集めた。枚方市長や枚方市議会も大阪市と同様の姿勢であり、条例制定要求は否決された。とはいえ、枚方市議会では、無防備地域宣言とは何かをめぐる具体的な質疑が行なわれた。兵庫県西宮市でも署名運動が取り組まれ、市民に大きな反響を呼んだ。
 二〇〇五年には、東京都荒川区、品川区、神奈川県藤沢市、京都府京都市、奈良県奈良市、滋賀県大津市、大阪府高槻市が続いた。
 二〇〇六年には、沖縄県竹富町、千葉県市川市、東京都日野市、国立市、大田区、目黒区、大阪府堺市、京都府向日市、二〇〇七年には大阪府箕面市、京都府宇治市が続き、本稿執筆現在、北海道札幌市で署名活動が展開されている(九月一五日から一〇月一四日まで)。

二 日本型ピース・ゾーン運動

 無防備地域運動は<日本型ピース・ゾーン運動>である。
 ピース・ゾーンには様々な類型がある。近年知られているところでは、ニューヨークを非武装地帯にしようという運動や、フィリピンのピース・サンクチュアリ運動がある。フィリピンのピース・サンクチュアリは、政府軍と武装勢力の間の武力紛争のために家を失い、難民となった人々が生命と暮らしを守るために両当事者と締結した協定によるピース・ゾーンである。本年七月二九日、札幌で開催された「ピース・ゾーン国際シンポジウム」におけるベンジャミン・アバディアーノ(アッシジ開発財団代表)の報告によると、フィリピン各地にピース・サンクチュアリやピース・ゾーンが広がっているという。
 戦乱のイラクの地でも非暴力・非武装で平和を求める運動が続いている。イラク市民レジスタンスは「シーア派でもスンニ派でもない、われわれは人間だ」と主張し、暴力の連鎖に終止符を打つよう呼びかけて、非武装のコミューンを創設している。非暴力の運動を束ねてイラク自由会議も発足した。
 北欧のオーランド諸島(フィンランド領)は独立国家ではないが、住民の運動に支えられて非武装・中立を維持してきた自治区である。
 スイスでは、「軍隊のないスイス」運動が軍隊廃止を求めて運動を行った結果、国民投票が実施され、三五%を超える賛成が得られた。過半数には達しなかったので軍隊廃止は実現していないが、運動は周辺諸国にも影響を与えている。
 また、コスタリカとパナマは憲法で軍隊不保持を定めて、軍隊を保有していない。そのほかに二五カ国が現に軍隊を保有していない(本誌六二八号、本年九月号参照)。
各地でそれぞれの状況に応じてピース・ゾーン運動が展開されてきた。無防備地域運動は日本で創案されたピース・ゾーン運動である。
 憲法第九条を持たないフィリピン、スイス、オーランド諸島で先駆的なピース・ゾーン運動が展開されてきた。憲法第九条を持つ日本の平和運動こそがピース・ゾーン運動のモデルを提供するべきだったのではないだろうか。その試みが無防備地域運動である。

三 無防備地域運動とは

 無防備地域運動は、一九七七年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書(以下、第一追加議定書)に規定されている。正式名称は「国際的武力紛争の犠牲者の保護に関し、一九四九年八月一二日のジュネーヴ諸条約に追加される議定書」である。
 第一追加議定書第五九条に規定された無防備地域宣言を、平時において自治体の条例に取り入れて、日頃から地域を非武装地域とし、自治体における平和行政を推進し、地域住民の平和意識を活性化させるための条例制定要求運動である。これが<日本型ピース・ゾーン運動>という意味である。
 無防備地域運動は、国際条約である第一追加議定書の無防備地域宣言の規定を手がかりに、憲法第九条の戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認や、憲法前文の積極的平和主義の理念を地域で活かすために構築された運動である。
 地方自治法は、住民が新しい条例制定を求める場合は、一ヶ月間に有権者の五〇分の一以上の賛同署名を集めて、自治体首長に提出すること、署名を受け取った首長はその請求を議会に提出することとし、議会で条例制定の可否を審議することにしている。法律に基づいた正式の署名なので、署名できるのはその自治体に居住する有権者に限られる。氏名・住所だけでなく生年月日も記載し、押印も必要となるため通常の署名よりもはるかに手間がかかるが、「住民主権」の具体例である。
 憲法第九条を柱に、国際法である第一追加議定書と、国内法である地方自治法という、まったく無関係な別物と思われていた両者を結びつけて、自治体に無防備地域条例制定を要求する試みである。無防備地域運動は、停滞してきた平和運動を活性化させる新しい試みとして注目を集めた。
 提唱者は、軍事ジャーナリスト・平和運動家の林茂夫である(林茂夫『戦争不参加宣言』日本評論社、一九八九年)。林は、第一追加議定書第五九条の積極的意義に着目して、これを憲法第九条と結びつけて「戦争不参加宣言」としての無防備地域宣言を提唱した。無防備地域宣言には「戦争に協力しない市民の権利」が含まれるとして、林は次のように述べている。
 「『無防備地域』運動は戦禍から民衆を守る、という点からみますと非常に消極的にみえるのですが、実際にそれをするためには、ふだんから運動をきちんとやっていないとだめです。その点からいえば、地域から戦争をやらせぬ態勢をつくる運動であり、非常に積極的な運動なのです。とくに日本の憲法のような規定があるところでは、積極的な意味をもつと思うのです」(池田真規他編『無防備地域運動の源流--林茂夫が残したもの』日本評論社、二〇〇六年)。
 林の問題提起によって、一九八五年には天理市の住民が無防備条例制定の直接請求を行なったが、議会で否決された。一九八八年には小平市で直接請求が行なわれたが、議会で否決された。
 当時、日本政府は第一追加議定書を批准していなかったので、天理市と小平市の挑戦は単発で終わり、林が蒔いた種は地中で長い冬眠期をすごすことになった。
 二〇〇四年、日本政府が第一追加議定書を批准する手続きを進めていた。日本政府は有事法制を整備し、自衛隊を世界どこにでも派兵する軍事態勢の創出に躍起となっていた。
 この事態を憂慮した大阪市民は、第一追加議定書が国際人道法としてもつ性格の限界にも配慮しつつ、無防備地域宣言の積極的意義に注目して取り組みを始めた。意に反して殺す側に立たされてしまった者の責任を自覚した取り組みである。その後の運動をリードする理論を提供してきたのが、澤野義一(大阪経済法科大学教授)である。澤野は次のように述べている。
 「いま日本で取り組まれている無防備地域条例制定運動は、平時から無防備地域(宣言)の条件を自覚的に準備していこうとしている点に新しさがある。市民(市民社会)が国際法を国内的に活用して平和を創造していく、世界的にみても、新しい平和運動ということもできる。日本国憲法との関連でいえば、平和憲法の擁護運動にとどまらず、形骸化している非戦・非武装主義の平和憲法を地域から回復する運動である。それは、有事法制・国民保護法が実施され軍事に備える地域よりは、無防備地域の方が住民(平和的生存権)にとっては安全であるということ、すなわち、『武力による平和』に対する『武力によらない平和』の優位性を具体的な形で示すことができる点で、有意義といえよう」(澤野義一『入門平和をめざす無防備地域宣言』現代人文社、二〇〇六年、同『平和主義と改憲論議』法律文化社、二〇〇七年)。
 無防備地域条例は各地それぞれの工夫が盛り込まれているので一様ではない。名称も、無防備平和条例、無防備都市条例、非核平和条例など様々である。
 また、京都市や奈良市の条例案は世界遺産の保護を掲げている。他方、現に自衛隊のある宇治市や札幌市では、将来の自衛隊基地撤去を念頭に置いた条例案としている。米軍基地が集中している沖縄県でも、基地撤去を求める運動の一環として無防備地域宣言・沖縄ネットワーク(代表・山内徳信)が発足している。
 とはいえ、基本的な内容はほぼ同じである。条例によって地域を日頃から無防備とし、ピース・ゾーンを設置する。住民は戦争に協力しないし、自治体も戦争協力の事務を行なわない。むしろ、日頃から平和行政を進める。平和予算を組む。そして、万が一必要となった場合には、第一追加議定書に基づいた無防備地域宣言を行う、というものである。このように二段構えで地域をピース・ゾーンとし、市民が主体となって平和政策を展開し、平和づくりに協働する条例づくりの運動である。

四 無防備地域宣言とは

1 無防備地域宣言の内容

 それでは、無防備地域宣言とは何か。国際法上の無防備地域宣言には二つの法的根拠がある。
 第一に、国際慣習法としての無防備地域宣言である。赤十字国際委員会のジャン・ピクテは、「これは、ハーグ規則第二五条の中味であり、長い間、代表的な戦争法の中核となってきた。これは、住民が敵対行為を行わないために発砲なしにその地域を占領できる場合は、不必要な危険と破壊から住民を守らねばならないというものである。長い間、軍事的性質を持たない都市を『開放都市』と宣言することは慣習となってきた」と整理している(ジャン・ピクテ『国際人道法の発展と諸原則』日本赤十字社、二〇〇〇年)。
 第二に、国際人道法の基本条約の一つである第一追加議定書第五九条である。日本政府は二〇〇四年の第一五九国会において第一追加議定書を批准し、二〇〇五年二月に効力が発生した。
 この二つの法的根拠があるが、以下では第五九条に従って論じる。
 第一追加議定書第第五九条第一項は「無防備地区を攻撃することは、手段のいかんを問わず、禁止する」としている。従来「無防備地域」と訳されてきたが、日本政府の訳は「無防備地区」である。
 その定義は、「紛争当事者の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近又はその中にある居住地区であって敵対する紛争当事者による占領に対して開放されているものを、無防備地区と宣言することができる」であり、四つの要件が必要とされる(第五九条第二項)。

a すべての戦闘員が撤退しており並びにすべての移動可能な兵器及び軍用設備が撤去されていること。
b 固定された軍事施設の敵対的な使用が行なわれないこと。
c 当局又は住民により敵対行為が行なわれないこと。
d 軍事行動を支援する活動が行われないこと。

 つまり、ピース・ゾーンである。
 同条第三項は、この地区にジュネーヴ諸条約で保護される者や警察が存在することは条件違反ではないとしている。治安維持のための警察がいても条件違反とはならない。
 宣言の主体は「紛争当事者の適当な当局」である。この解釈をめぐって争いが生じた。日本政府は「紛争当事者の適当な当局」とは、日本政府のことである、あるいは軍指揮官のことであるとしている。従って、自治体が無防備地域宣言をすることはできないという。多くの自治体議会が条例案を否決してきたのも、この考えを無批判に受け入れたためである。
 しかし、日本政府の解釈は誤りである。第一に、この文言は当初は「紛争当事者」であったのが「紛争当事者の適当な当局」に変更された。その理由は自治体にも宣言できるようにするためであった。第二に、赤十字国際委員会の注釈書にも自治体(の長)が宣言できると明示されている(詳しくは、池上洋通・澤野義一・前田朗編『無防備地域宣言で憲法9条のまちをつくる』自治体研究社、二〇〇六年、前田朗『侵略と抵抗』青木書店、二〇〇五年、参照)。
 宣言の手続きは、紛争当事者の適当な当局が「敵対する紛争当事者に対して」申し入れることとし、無防備地区の境界をできるかぎり特定することとしている。宣言通告を受けた紛争当事者は受領したことを知らせ、条件が守られているかぎり無防備地区として扱わなければならない。つまり、無防備地区を攻撃してはならないのである(同条第四項)。
 他方、自治体の中に軍事施設が存在する場合は、その区画を除外して無防備地域宣言をすることもできる(第五九条第五項)。その主体は「紛争当事者」と表記されているが、第五九条の構造から言って、第二項の「紛争当事者の適当な当局は」が継承されていると読むべきである。

2 無防備地域宣言の基本思想

 国際慣習法としての無防備地域の基本思想は、軍事目標主義であったといえよう。軍事目標主義とは、軍隊は軍隊を攻撃するという軍事的合理性の思考である。民間人を攻撃することは、軍事的合理性に適わない。反感を買うだけで、占領した場合にも占領行政に支障をきたす(詳しくは、前田朗『民衆法廷の思想』現代人文社、二〇〇三年)。
 赤十字の活動が開始されて以後、軍事目標主義には、人道と文明の原則による意義が追加された。民間人、傷病者、赤十字職員などを攻撃することが禁止された。
 一方では軍事的合理性、他方では人道主義が背景となって、軍民分離原則が発展させられた。戦争法から国際人道法への発展に伴って、重点は人道主義に傾斜していく。
 無防備地域宣言の根拠規定は、第一追加議定書第四部「文民たる住民」の第一節「敵対行為の影響に対する一般的保護」の中に置かれている。その第一章「基本原則および適用範囲」では、文民たる住民および民用物に対する尊重および保護のために軍民分離原則と軍事目標主義が掲げられている(第四八条)。第二章「文民および文民たる住民」では、文民の定義の後に、文民たる住民の保護として、文民への攻撃や威嚇の禁止、無差別爆撃の禁止、都市爆撃の禁止が規定されている(第五一条)。第三章「民用物」では、民用物の一般的保護(第五二条)、文化財・礼拝所の保護(第五三条)、餓死戦術の禁止(第五四条)、自然環境の保護(第五五条)、ダム、堤防、原子力発電所攻撃の禁止(第五六条)が列挙されている。第四章「予防措置」では、文民を攻撃することのないよう「攻撃の際の予防措置」をとること(第五七条)と、文民が被害を受けないようにするための「攻撃の影響に対する予防措置」として、軍民分離措置、人口周密地域の基地の回避などが定められている(第五八条)。これらを受けて、第五章「特別の保護を受ける地域および地帯」として、無防備地域(第五九条)と非武装地帯(第六〇条)が配備されている。
 以上のように、無防備地域の思想は、当初は軍事的合理性にたった軍事目標主義であったが、国際人道法が発展してきた現在では、人道主義にたった文民の保護、軍民分離原則という意味での軍事目標主義に発展している。

3 憲法第九条との接合

 国際法における無防備地域宣言の意義と思想は以上のとおりだが、日本で展開されている無防備地域運動は、無防備地域宣言、憲法第九条の平和主義(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)、憲法前文の積極的平和主義を接合して、地域の平和力を高め、地域から戦争協力の可能性を縮減していく試みである。
 従って、無防備地域運動は単に攻撃されないことを目指しているのではなく、攻撃しないこと、行政の戦争準備・戦争協力をやめさせること、平和行政と平和教育を推進することを目指している。
 日本が攻撃されたらという不安感を根拠にした議論が横行しているが、現実の日本は攻撃する側に立っている。朝鮮戦争やベトナム戦争への加担は古い話と思われるかもしれないが、アフガニスタン戦争やイラク戦争でも、米軍は「テロとの戦い」と称しながら民衆殺戮に明け暮れている。数え切れない人々が難民となり、命を切り刻んでいる。その米軍作戦を支えているのは日本政府だ。平和運動には憲法第九条をきちんと使う責務があるのではないか(前田朗『市民の平和力を鍛える』K.I.メディア、二〇〇六年)。

五 無防備運動の到達点

1 運動の現状

 無防備運動の到達点は次のようにまとめることができるだろう。
 第一に、国立市・箕面市の市長が無防備条例に賛成意見を明らかにした。国立市・箕面市以外の各自治体首長はいずれも無防備条例に反対の意見を表明してきた。日本政府の誤った見解を繰り返すだけのものであった。これに比して、国立市長と箕面市長は、自治体首長として地域の平和と安全をどのように守るべきかを正面から議論している。
 第二に、国立市・箕面市も含めて、これまですべての自治体議会が条例案を否決してきた。運動の基本目標は達成されていない。しかし、否決の理由は日本政府見解の引き写しにすぎず、住民の平和と安全に責任を有する姿勢をとっているとはいえない。
 第三に、議論の内容である。大阪市議会などでは「自治体には宣言はできない」という誤解が一方的に語られて、審議が終わった。しかし、「地方自治体が無防備地域宣言できる」という赤十字国際委員会の注釈書の存在が明らかになった。法的には自治体にも宣言できることが証明された。このように徐々に議論の水準が高くなってきた。
 第四に、議会において否決が続いたにもかかわらず、無防備地域を求める運動が各地に広がった。各地の運動のつながりができ、「無防備地域宣言運動全国ネットワーク」が組織されている(無防備地域宣言運動全国ネットワーク編『戦争をなくす!あなたの町から無防備地域宣言を』耕文社、二〇〇五年)。マンガも出版された(あきもとゆみこ『まんが無防備マンが行く!』同時代社、二〇〇六年)。

2 国立市議会における議論

 国立市議会における審議は、それまでにない高い水準となった。
その要因は、第一に、上原公子・国立市長(当時)が、賛成意見を付して条例案を議会に提出した。そして、市議会において、条例案実現のために積極的に意見表明を行った。第二に、国立市民の懸命の努力によって、必要数の四倍を超える署名が集まり、市議会に慎重な審議を実現させた。第三に、国立市議もよく勉強しており、国際人道法の基本を理解した発言が続いた。第四に、それまでの各議会における審議の経験も踏まえていたので、無用の議論に長時間を費やすことがなかった。
 「国立市平和都市条例制定をめざす会」がまとめた「くにたちの議会審議の論点」は審議の内容を次の九点に整理している(無防備地域宣言運動全国ネットワーク編『無防備平和条例は可能だ――国立市議会審議の記録』耕文社、二〇〇七年)。
 ➀条例の目的――「戦争協力体制」から離脱して、自治体が住民の生命・財産・暮らしを守ること。 ➁条例の根拠――文民保護と軍民分離の第一追加議定書。➂自治体に宣言の権限があるか――適当な当局に自治体が含まれ、政府見解は誤り。➃自治体に無防備条例の権限はあるか――憲法、地方自治法、国民保護法からいって可能。➄国内法との矛盾――憲法に沿った条例であり、国民保護法とも矛盾しない。 ➅敵が攻めてきたら――国際法違反である。➆敵に占領されたら――国際人道法の占領は、住民の生命や安全の保護。➇自衛隊立川基地は一部が国立市にある――自衛隊立川基地は国際法違反なので、日本政府には改善義務。➈国際人道法の周知――日本政府は第一追加議定書を周知する義務を怠っている。

六 今後の課題

 無防備運動は、条例実現という基本目標を実現しえていない。それゆえ、条例実現に向けて各地で学習・検討が続いている。
 自治体議会構成を見る限り、早期の条例実現が容易でないことは確かである。これまで自由民主党、公明党、民主党議員が反対してきた。大阪市や品川区では全面賛成であった日本共産党議員も市川市・日野市以後は棄権にまわった。大田区の審議では反対の先頭に立っている。一貫して賛成しているのは社会民主党議員だけである。ローカル政党の生活者ネットや個人議員の賛成も目立つ。
 とはいえ、議論の水準が徐々に高まってきた。憲法第九条の危機に際して、第九条を守り、活かすために、地域で無防備地域運動を推進することは、地域の平和意識を活性化させ、政府の戦時体制づくりに少しでも歯止めをかけようとする運動でもある。国立市や箕面市の議論を手がかりに、次の議論を組み立てようというのが、運動に参加してきた市民の意欲である。
 ところが、最近でも議論の水準を無視した批判が投げつけられることがある。低レベルの議論は無視したいのだが、次の例は、影響力の強い学者によるものなのでここで取り上げておきたい。
 長谷部恭男・杉田敦『これが憲法だ!』(朝日新書)の一節である(六四頁)。長谷部は東京大学教授(憲法学)、杉田は法政大学教授(政治学)である。

 杉田 ・・・しかし、この規定は、そもそも主権国家間の戦争の過程で、特定の地域については軍事的に守ることを放棄し、占領を容易にするかわりに、占領する側の自重を求めるといういわば「捨て駒」的な規定にすぎません。戦争そのものをなくす論理ではなく、戦争を円滑に進めるための規定です。
 それに、私は国にせよ、個々人の個人自衛権までを一律に奪おうとすることには賛成できない。たとえば非常に暴虐な軍隊がやってきた、それに対して、たとえば私が武器を持って抵抗したら、それは自治体の宣言に反してしまうわけです。「一人が抵抗すれば他の住民も危険にさらされるじゃないか」という理屈で、この共同体は私に対して「おまえ、武装抵抗をやめろ」と、場合によっては暴力的に命令してくるかもしれない。私がもし「どうしても戦う」と言ったら、収監されたりするわけです。
 ということは、人びとの個人自衛権を無視すること、それ自体の暴力性において、実は護憲派と改憲派は通底してきた面がある。長谷部さんが、立憲主義という形で問題提起したのもそこである。そういう理解でいいでしょうか。
 長谷部 そのとおりです。
 右の引用文はおよそ論理の体をなしていない。
 第一に、「戦争そのものをなくす論理ではない」との指摘には意味がない。国際社会はすでに不戦条約と国連憲章を持っているし、日本には憲法第九条があるのだから。そして、国際人道法は、民間人保護のために軍民分離原則と軍事目標主義を掲げ、その延長で無防備地域宣言を規定している。そもそも、自ら「戦争をなくす論理」を提出できない杉田が、「無防備は戦争をなくす論理ではない」と批判することに何の意味があるのだろうか。杉田は無防備地域を「捨て駒」だという。しかし、無防備にしてもらえず多大の被害をこうむった沖縄本島こそが「捨て駒」とされたのであり、日本軍のいなかった前島では住民の安全が守られた。
 第二に、「個人自衛権を奪おうとする」というのは誤解である。無防備地域宣言は個人の正当防衛も抵抗権も否定していない。そもそも正当防衛や抵抗権の行使につねに武装が必要だと考えること自体、まったく根拠がない。
 第三に、「私が武器を持って抵抗したら」というが、そのような個人自衛権は存在しない。杉田が武器を持って抵抗したら銃刀法違反容疑で逮捕されるのは当然である。無防備地域宣言と何の関係もない。杉田は「敵」を無前提に想定するが、無防備地域運動は「敵」をつくらないためにあらゆる努力をする論理に立っている。
 第四に、無防備地域宣言や平和主義に対する「暴力性」というレッテル貼りである。戦争も軍隊も否定しない杉田が、非武装平和主義に対して「暴力性」という非難を投げつけるのだから、倒錯というしかない。小手先のレトリックだけの議論だ。
 無防備地域運動は、アジア各地で米軍が推進している民衆殺戮に加担しないため、戦争に協力しないために闘っている。日本は殺される側ではなく、現に殺している側に立っているのだから。現実に目を閉ざす政治学者は、命がけでピース・サンクチュアリを築いてきたフィリピンの平和運動やイラク市民レジスタンスに対しても、「暴力性」などとノーテンキなご高説を垂れるのだろう。
 非暴力や非武装に対するこうした非難は、実は珍しくない。非常に古くから存在するパターンである。
 マーク・カーランスキーは、イエス・キリストからアメリカの奴隷制廃止論者、マハトマ・ガンディーからマルティン・ルーサー・キング、そしてソ連東欧社会主義を崩壊させた非暴力人民の抵抗にいたるまで、非暴力の歴史を詳細に描き出している。カーランスキーは、非暴力主義がなぜ権力者から危険視され、弾圧されたり、暗殺の対象とされてきたのかを明らかにしている。
 「非暴力を積極的に実践する人々は、いつの時代も、国家にとって直接の脅威となる危険な存在と見られてきた」。「支配階級にとって、国家が人を殺す権利を持つことに疑問を投げかける国民は、政府が他国を犠牲にして自国の利益を拡大する能力を侵害しようとしている存在に他ならない。だから、非暴力活動家は国家への脅威と見なされるのだ」(マーク・カーランスキー『非暴力――武器を持たない闘士たち』ランダムハウス講談社、二〇〇七年)。
 非暴力・非武装・無防備の平和主義は、軍事力信仰にひびを入れ、国家権力(暴力)の権威と正当性に疑問符を付す。だからこそ、時として、非暴力は激しい憎悪の対象となってきたのだ。
 しかし、非暴力の思想が消え去ることはない。現実の世界が暴力に満ち満ちていればいるほど、非暴力・非武装・無防備の平和主義が輝くだろう。逆上した政治学者の悪罵にもかかわらず、人々の生命と希望をかけたピース・ゾーン運動はフィリピン、スイス、日本からさらに世界に広がっていくだろう。