社会評論148号(2007年1月)
ピース・ゾーンをつくろう
――積極的平和主義としての無防備地域運動
平和は願ったり、愛したりするものではない。そんなものは何の役にも立たない。維持するものでもない。平和とは作り出すものである。武力では平和を作り出すことはできない。一人びとりの覚悟と実践だけが、平和を作り出していくのである。
――平良 夏芽
一 ピース・ゾーンをつくる運動
1 無防備地域とは何か
最近、無防備地域をめざす条例制定請求運動が各地に広がっている。地域でピース・ゾーンをつくろうという<日本型ピース・ゾーン運動>である。
各地の市民が、駅前、市役所前、スーパー前や商店街に立って、「戦争に協力しない平和無防備条例をつくろう」「あなたの町の憲法第九条を」「地域で憲法第九条の輝きを取り戻そう」と訴えて、署名を集めている。
署名に応じた人たちの声でもっとも特徴的なのは、「いくら反対しても自衛隊はイラクに行ってしまった。私たちに何ができるのか悩んでいた。こういう署名があったのか」、「庶民の声が政治に届かなくなっている。教育基本法改悪や共謀罪も次々と出てくるけど、どこで何をしたらいいのかわからない」、「反対署名ではなく、積極的に平和条例を作ろうという署名は初めてだ。いつも反対署名ばかりしてきた」といった声である。
無防備条例制定運動は平和運動に、小さいが、新しい流れをつくり出そうとしている。
それでは、無防備地域とは何か。
そもそもの無防備地域宣言は「ジュネーヴ諸条約第一追加議定書(以下、第一追加議定書)」第五九条に規定されている。聞きなれない名前だが、国際人道法の基本条約の一つである。日本政府は二〇〇四年の第一五九国会において第一追加議定書を批准し、二〇〇五年二月に効力が発生した。
第一追加議定書第第五九条第一項は「無防備地区を攻撃することは、手段のいかんを問わず、禁止する」としている。これまで「無防備地域」と訳されてきたが、日本政府の訳は「無防備地区」である。
その定義は、同条第二項によると「紛争当事者の適当な当局は、軍隊が接触している地帯の付近又はその中にある居住地区であって敵対する紛争当事者による占領に対して開放されているものを、無防備地区と宣言することができる」であり、四つの要件が必要とされる。
a すべての戦闘員が撤退しており並びにすべての移動可能な兵器及び軍用設備が撤去されていること。
b 固定された軍事施設の敵対的な使用が行なわれないこと。
c 当局又は住民により敵対行為が行なわれないこと。
d 軍事行動を支援する活動が行われないこと。
つまり、軍隊や軍事施設が存在しないこと、機能していないことである。軍隊のないピース・ゾーンである。
同条第三項は、この地区にジュネーヴ諸条約で保護される者や警察が存在することは条件違反ではないとしている。戦闘行為のためではなく、もっぱら治安維持のために存在する警察の存在は条件違反とはならない。
宣言の手続きは同条第四項に定められている。紛争当事者の適当な当局が「敵対する紛争当事者に対して」申し入れることとし、無防備地区の境界をできるかぎり特定することとしている。宣言通告を受けた紛争当事者は受領したことを知らせ、条件が守られているかぎり無防備地区として扱わなければならない。つまり、無防備地区を攻撃してはならないのである。
以上のように、無防備地区とは「軍隊のない地区」である。
また、自治体の中に軍事施設が存在する場合、その区画を除外して無防備地域宣言をすることもできる(第五九条第五項)。その主体は「紛争当事者」と表記されているが、第五九条の構造から言って、第二項の「紛争当事者の適当な当局は」が継承されていると読むべきである。
2 民間人の保護
それでは地域にピース・ゾーンをつくるという発想はどこから来たのであろうか。戦争と平和の問題は、もともと国家間の問題であり、国家が決めることと考えられてきたのに、地域でピース・ゾーンをつくることにどのような意味があるのだろうか。
無防備地域を定めた第一追加議定書は、国際法の一種である国際人道法の一つである。国際人道法のなかで無防備地域という考えがどのように位置づけられているかを見ていこう。
国際法は、軍事目標主義を明示し、人道法として民間人の保護を掲げてきた。軍事目標主義と民間人の保護は、若干のズレがありながらも、コインの表と裏の関係にある。
武力紛争に際して、軍隊が攻撃するのは、敵の軍隊であり、軍事施設である。軍事的合理性の観点に立てば、武力紛争においては敵軍の戦闘能力を効率的に奪うことが最大目標となる。それ以外のものを攻撃するのは時間の無駄であり、武器弾薬の無駄である。軍事的に必要な攻撃を行なって、敵軍を撃破し、すみやかに停戦・講和に結び付けるのが合理的である。敵領土を占領する場合にも、無用の攻撃や過剰な攻撃を行なってしまうと占領行政への住民の協力が得られなくなってしまう。
軍事目標主義を実現するためには、軍隊と民間人、軍事施設と民間施設は区別しておかなければならない。軍隊と民間人が一緒にいれば、軍隊に対する攻撃の「付随的損害」として民間人の死傷を招いてしまう。沖縄戦の悲劇を思い出そう。軍民混在をもたらすことは国際法に反する結果となる(第一追加議定書第五八条)。
人道法の観点に立てば、軍事目標以外のものを攻撃すること、つまり民間人や民用施設を攻撃することは人道違反であり、許されない。民間人を攻撃すれば戦争犯罪である。ジュネーヴ諸条約および第一・第二追加議定書は、武力行使における民間人の保護、捕虜の保護、戦傷病者の保護など、武力行使の中でも、守られるべき者の保護を規定している。
第一追加議定書第四八条は、住民保護のために民用物と軍事目標を区別することを定める。第五一条は、住民保護のために「文民は、攻撃の対象としてはならない」「無差別攻撃は禁止する」と定めている。都市町村など民用物の集中している地域への攻撃は無差別攻撃であり、許されない。民用物の保護(第五二条)、文化財・礼拝所の保護(第五三条)、住民の生存に必要なものの保護(第五四条)、自然環境の保護(第五五条)がこれに続く。そして、自国の文民を軍事目標の近傍から移動させること、人口周密地域に軍事目標を設置しないことも求めている(第五八条)。
以上の帰結として、軍隊のない地区を攻撃する理由はまったくなく、許されない行為である。その法的意味を次のようにまとめることができる。
第一に、無防備地域攻撃は違法である。無防備地域を攻撃することは国際法上許されない。民間人攻撃は国際法上違法である。民間人・民間施設攻撃が違法であることは、ジュネーヴ諸条約以前から国際法上の要請であった。一九〇七年のハーグ諸条約においてすでに民間人攻撃の違法性は明らかになっていた。 ハーグ陸戦法規慣例規則第二五条は「防守セサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ攻撃又ハ砲撃スルコトヲ得ス」としている。訳文の日本語表記方法が現在とは異なるが、英文は一箇所「軍事目標となっていない」を除くと、同じ表現である。
第二に、無防備地域攻撃は戦争犯罪にあたる。無防備地域であることを知りながら無防備地域を攻撃すれば、それは単に違法であるだけではなく、戦争犯罪となる。一九九三年の旧ユーゴスラヴィア国際刑事法廷(ICTY)規程第三条は「手段のいかんを問わず、無防備の都市、村落、居住地または建物に対する攻撃または爆撃」を「戦争法規慣例違反」の戦争犯罪としている。一九九八年の国際刑事裁判所(ICC)規程第八条第二項b(v)は「手段のいかんを問わず、無防備で、かつ、軍事目標となっていない都市、村落、居住地または建物に対する攻撃または爆撃」を戦争犯罪としている。
アフガニスタンやイラクにおける米軍の攻撃は、多数の民間人攻撃や無差別攻撃を行っていたと考えられるが、米軍が「軍事目標(タリバンや武装勢力)を攻撃している。民間人を攻撃していない。残念ながら生じた付随的損害である」と弁解しているのも、軍事目標主義を少なくとも建前上は守らなければならないから、こう言わざるを得ないのである。
二 いまなぜ無防備地域運動か
1 戦争国家の現在
いま各地で無防備地域運動が広がっているのは、言うまでもなく日本と世界の現状への危機感が出発点である。
米軍主導のアフガニスタン攻撃とイラク攻撃によって、二一世紀の世界は戦争とテロの時代となってしまった。日本政府もアメリカの戦争政策に便乗して、自衛隊をイラクに派兵したり、有事立法を制定するなど、日本国憲法を無視する戦争政策を進めている。
日本の防衛費(軍事費)は、すでに長い間、世界三位から五位くらいの間にある。自衛隊員数も世界一九二カ国の中で第二〇位ほどの位置にある。しかも、在日米軍がいる。日米合同軍はいまや世界最強の軍隊であり、世界の平和を脅かす最大の要因となっている。
このように強大な軍備を誇り、それをいつでもどこへでも派遣しようという戦争国家の形成がもくろまれている。
いまや日本政府にとって、憲法第九条などなきに等しい。安倍政権は憲法第九条のままで集団的自衛権の行使を積極的に進める姿勢であるし、閣僚の核保有発言も飛び出している。
憲法第九条があるにもかかわらず、日本政府は強大な軍事力を保有し、米軍による世界支配に追随している。そのための法整備として、武力攻撃事態対処法、国民保護法などが次々と制定されてきた。ナショナリズムを煽る国旗国歌法、日の丸君が代強制、歴史教科書の改悪、さらには教育基本法改悪が進められている。戦争に反対する者を狩り出すために、戦争反対のビラ配りを弾圧し、それでも足りないとばかりに共謀罪法を準備している。戦争動員体制が着々と整備されている。
2 危機に立つ平和運動
それでは、反戦平和運動は何をしてきただろうか。一つひとつの悪法に反対の声を上げるのが精一杯で、いつも一歩後退、二歩後退を続けてきたのではないだろうか。
戦後半世紀を越える日本の平和運動は、憲法第九条を守るために大きな闘いを繰り広げてきた。平和憲法の存在によって、反戦平和運動は豊かな成果を挙げてきたことは事実である。
それにもかかわらず、在日米軍は強化され、自衛隊も増強され、戦地イラクへの海外派兵まで強行されてしまった。
この現実を前にして、従来の反戦平和運動の反省をきちんとしておく必要がある。反戦平和運動は、なぜいつも反対運動を展開してきたのか。その都度の反対運動はもちろん必要であったし、今後も国民投票法案反対や憲法改悪反対の闘いを構築していかなければならないことは言うまでもない。しかし、反戦平和運動がほとんど常に反対運動としてしか実現しなかったことの限界を見つめておく必要がある。
悪法反対運動は、悪法阻止に失敗しても、「残念ながら法律は制定されたが、反対闘争の成果として、悪法の適用には制約がかかった」などと総括をしてこなかっただろうか。悪法反対運動は、悪法阻止に成功した時に、「法制定は阻止しえたが、事実上、悪法の先取りを許してしまった」という深刻な反省をしたことがあっただろうか。
悪法反対運動をするななどと言いたいのではない。権力が提起する悪法には断固として反対しなければならない。その意味で従来の悪法反対運動は必要であり、正しかった。しかし、悪法反対運動はあくまでも反対運動である。運動に成功したとしても、せいぜいよくて現状維持の成果しか得られないのだ。現状を打破する運動を提起してこなかったことが、私たちの反戦平和運動の限界ではなかったか。
同時に考えておかなければならないのは、日本社会の平和意識の変容である。憲法第九条のある日本では、自民党政権が再軍備から自衛隊増強を図ってきたにもかかわらず、それでも平和を求める市民の声が強かった。たとえ米軍が常駐し、自衛隊が存在しようとも、それでも憲法第九条の意義は確かに存在した。自衛隊に賛成であっても憲法第九条にも賛成といった具合に。
しかし、近年の平和意識のあり様はどうだろうか。憲法第九条への市民の支持が微妙に変化していないだろうか。憲法第九条を改正するのもやむをえないという声が徐々に強まっていないだろうか。政党だけではなく、一般の市民の間にも、「憲法第九条は戦争とテロの時代に合わない」といった物言いが増えてはいないだろうか。あるいは、平和を求めるがゆえに、軍事力による平和のロジックに巻き込まれる人々が増えてはいないだろうか。
現実の自衛隊は米軍とともに海外展開し「予防的先制攻撃」の体制を着々と準備しているのに、「日本が攻撃されたら」という威嚇に惑わされてはいないだろうか。攻撃されないことよりも、攻撃しないことの方が現実の課題であるのに、果たしてどれだけの人が自衛隊の現実を理解しているだろう。
以上のような問題意識にたって、平和運動のあり方を見直していく必要がある。その一つの試みがピース・ゾーンをつくろうという積極的な問題提起なのである。悪法に反対したり、現状を守るだけではなく、一歩前に出て、つくる運動を意識的に展開していきたいという思いを共有する人々が無防備運動に取り組んできた。
三 日本型ピース・ゾーン運動
1 無防備条例をつくろう
無防備条例運動は<日本型ピース・ゾーン運動>である。それはどういう意味であろうか。
第一追加議定書第五九条に規定された無防備地域宣言を、平時において自治体の条例に取り込んで、日頃から地域を非武装地域とし、自治体における平和行政を推進し、地域住民の平和意識を活性化させるための条例制定要求運動である。これが<日本型ピース・ゾーン運動>の意味である。
地方自治法は、住民が新しい条例制定を求める場合は、一ヶ月間に有権者の五〇分の一以上の賛同署名を集めて、自治体首長に提出すること、署名を受け取った首長はその請求を議会に提出することとし、議会で条例制定の可否を審議することにしている。
国際法の第一追加議定書と、国内法である地方自治法という、まったく無関係な別物と思われていた両者を結びつけて、自治体に無防備地域条例制定を要求する試みは、停滞してきた平和運動を活性化させる新しい試みとして注目を集めた。
無防備地域運動を提唱したのは、軍事ジャーナリスト・平和運動家の林茂夫である。林茂夫『戦争不参加宣言』(日本評論社、一九八九年)は、第一追加議定書第五九条の積極的意義に着目して、さらに憲法第九条と結びつけて「戦争不参加宣言」としての無防備地域宣言を提唱した。「無防備宣言をすれば攻撃されないのか」といった質問が非常に多く出されるが、この運動は最初から「戦争に協力しない市民の権利」を掲げて始まったのである。林茂夫は次のように述べている。
「『無防備地域』運動は戦禍から民衆を守る、という点からみますと非常に消極的にみえるのですが、実際にそれをするためには、ふだんから運動をきちんとやっていないとだめです。その点からいえば、地域から戦争をやらせぬ態勢をつくる運動であり、非常に積極的な運動なのです。とくに日本の憲法のような規定があるところでは、積極的な意味をもつと思うのです」(池田真規他編『無防備地域運動の源流--林茂夫が残したもの』日本評論社、二〇〇六年)。
林茂夫の問題提起によって、一九八五年には天理市で無防備条例制定の直接請求が行なわれたが、議会で否決された。一九八八年には小平市で直接請求が行なわれたが、議会で否決された。
当時は、日本政府は第一追加議定書を批准していなかったこともあって、天理市と小平市の挑戦に続く運動は形成されなかった。林の先駆的な問題提起は、ひとまず空白期を迎える。
日本政府が第一追加議定書を批准する手続きを進めていた二〇〇四年に、大阪市民が無防備地域条例に注目して取り組みを始めた。その後の運動をリードする理論を提供しているのが、憲法学者の澤野義一(大阪経済法科大学教授)である。澤野義一は次のように述べている。
「いま日本で取り組まれている無防備地域条例制定運動は、平時から無防備地域(宣言)の条件を自覚的に準備していこうとしている点に新しさがある。市民(市民社会)が国際法を国内的に活用して平和を創造していく、世界的にみても、新しい平和運動ということもできる。日本国憲法との関連でいえば、平和憲法の擁護運動にとどまらず、形骸化している非戦・非武装主義の平和憲法を地域から回復する運動である。それは、有事法制・国民保護法が実施され軍事に備える地域よりは、無防備地域の方が住民(平和的生存権)にとっては安全であるということ、すなわち、『武力による平和』に対する『武力によらない平和』の優位性を具体的な形で示すことができる点で、有意義といえよう」(澤野義一『入門 平和をめざす無防備地域宣言』現代人文社、二〇〇六年)。
この運動の特質のひとつは二段構えの組み立てになっていることである。
①条例に基づく無防備地域宣言――条例によって地域を日頃から無防備とし、ピース・ゾーンを設置する。住民は戦争に協力しないし、自治体も戦争協力の事務を行なわない。むしろ、日頃から平和行政を進める。平和予算を組む。
②条約に基づく無防備地域宣言――第一追加議定書に基づいて、「戦時」においては、具体的な無防備地域宣言を行う。
このように二段構えで地域をピース・ゾーンとし、市民が主体となって平和政策を展開し、平和づくりに協働する条例案である(各地の条例案を紹介・検討する余裕はないので、後掲の資料①「国立市平和都市条例(案)」を参照していただきたい)。
2 ピース・ゾーン運動のリレー
林茂夫が提唱し、天理市や小平市で蒔かれた種は長らく冬眠状態にあった。しかし、二〇〇四年春、大阪で新しい平和運動の挑戦が始まった。
大阪市という巨大な自治体で、住民が無防備平和条例を求めて直接請求運動を始めた。一ヶ月間に有権者の五〇分の一以上の署名を集めなければならない。大阪市民は街頭に立って無防備条例の呼びかけを行い、市民と直接対話の中で平和の訴えを続け、ついに法定数の一・六七倍の署名を集めた。法定数の署名を集めた大阪市民は、大阪市長に署名を提出した。ところが、大阪市長は「条例制定の必要はない」旨の意見陳述を行い、市議会も十分な審議を尽くさず、無防備地域宣言が何であるのかすら、ほとんど理解しないままに、条例制定要求を否決してしまった。
しかし、大阪の挑戦は、各地に広がり始めた。二〇〇四年秋には大阪府枚方市の住民が署名活動に取り組み、法定数の三倍を越える署名を集めた。枚方市長や市議会の姿勢も大阪市と同様であり、結果として条例制定要求は否決された。とはいえ、枚方市議会では、第一追加議定書とは何か、無防備地域宣言とは何かをめぐる具体的な質疑が行なわれた。兵庫県西宮市でも署名運動が取り組まれ、市民に大きな反響を呼んだ。
二〇〇五年には、東京都荒川区、神奈川県藤沢市、京都府京都市、奈良県奈良市、滋賀県大津市、大阪府高槻市、東京都品川区が続いた。
二〇〇六年夏までには、沖縄県竹富町、千葉県市川市、東京都日野市、国立市、大田区が続いた。
このうち国立市では、無防備条例に賛成する市長意見が初めて議会に提出された。上原公子・国立市長は、無防備地域宣言運動全国ネットワークの呼びかけ人でもあり、非常に優れた意見書を書き上げた(後掲資料②参照)。しかし、議会は条例案を否決した。
以上の自治体では条例案は否決され続けているが、各地の市民は、地域における平和意識を活性化させ、憲法第九条の実質を活かすための運動のリレーを続けている。二〇〇六年秋には、東京都目黒区、京都府向日市、大阪府堺市、箕面市でも署名運動が取り組まれた。
大阪市に始まる取り組みの全体を総括することはまだ難しいが、いくつかの特徴を整理しておこう(より詳しくは、澤野義一前掲書参照)。
第一に、国立市以外の各自治体首長はいずれも無防備条例に反対の意見を表明した。しかし、首長の反対意見が、日本政府見解の引き写しにすぎず、自治体首長として住民の平和と安全に責任を有する姿勢をとっているとはいえないことが白日の下にさらされた。
第二に、大阪市などでは「自治体には宣言はできない」という誤解が一方的に語られていたが、運動が広がる中で、「地方自治体が無防備地域宣言できる」という赤十字国際委員会の注釈書の存在が明らかになった(池上洋通・澤野義一・前田朗編『無防備地域宣言で憲法9条のまちをつくる』自治体研究社、二〇〇六年)。
第三に、議会において否決が続いたにもかかわらず、無防備地域を求める運動が各地に広がった。各地の運動のつながりができ、無防備地域宣言運動全国ネットワークが組織され、運動のノウハウが伝えられている(無防備地域宣言運動全国ネットワーク編『戦争をなくす!あなたの町から無防備地域宣言を』耕文社、二〇〇五年)。マンガも出版された(あきもとゆみこ『まんが無防備マンが行く!』同時代社、二〇〇六年)。
3 自治体こそ宣言できる
国立市以外の各首長は、おおむね「無防備地域宣言は国がこれを行なうものと解されており、地方自治体は宣言を行なうことができない。すでに平和都市宣言などがなされており、あらためて無防備地域条例を制定する必要はない」といった主張をしてきた。各市区町議会も、同様の見解のもとに、条例制定要求を否決した。
この見解は、日本政府の公式見解と同様である。というよりも、各首長は、自ら第一追加議定書の解釈を行なうことなく、日本政府見解に漫然と従っているだけといった方が正しいであろう。
赤十字国際委員会注釈書が「自治体にも宣言できる」としているので、この問題は決着がついたはずだが、その後も「自治体には宣言できない」と漫然と繰り返す例が見られる。筆者の見解はすでに詳論したことがあるので、以下では概略のみ示しておく(前田朗『侵略と抵抗』青木書店、二〇〇五年参照)。
地方自治体が無防備地域宣言をなしうるか否かは、基本的には第一追加議定書第五九条の法解釈問題である。無防備地域宣言について規定した国際法規範は、一九〇七年のハーグ陸戦法規慣例規則第二五条と、それを継承した第一追加議定書第五九条であるから、第一追加議定書第五九条をどのように理解するかが決め手となる。
①文理解釈――第一追加議定書第五九条は「紛争当事国の適当な当局は宣言する」と明示している。「紛争当事国は宣言する」とはしていない。このことから、宣言の主体は「紛争当事国」そのものだけではなく「紛争当事国の適当な当局」が含まれることは疑問の余地がない。そして「適当な当局(appropriate authorities)」は英文では複数形となっている。第一追加議定書では「紛争当事国(a Party)」は単数形で示されているので、「紛争当事国の適当な当局」には政府以外のものが含まれる。政府は単数形であり、複数になるのは内戦その他の事情で政府の意思が分裂している場合である。この点だけから言っても「国だけが宣言主体である」という解釈は採用できない。
②主観的解釈――法律解釈の出発点は、その法律を制定した立法者の意思は何であったかを確認することである。第一追加議定書を採択した国際会議においては、当初は国家が無防備地域宣言をする規定だったのが、修正されて「適当な当局」になった。「適当な当局」を挿入したのは、内戦などの状況で国家が崩壊したり、意思決定をなしえないような状況となった場合に、自治体による宣言を可能とするためである。従って、第一追加議定書の締結作業に関与した諸国の意思によれば、地方自治体が無防備地域宣言をすることができると解釈するのが当然である。
③赤十字国際委員会の解釈――第一追加議定書を審議・採択したジュネーヴ国際会議を提唱したのは赤十字国際委員会である。国際人道法体系を形成し、その適用を推進し、人道法違反を監視してきた赤十字国際委員会は、その解釈について、もっとも権威を有する団体である。赤十字国際委員会が出版した第一追加議定書注釈書は、自治体による無防備地域宣言の可能性を明言している。すなわち、赤十字国際委員会によると、宣言は基本的には国家または責任ある軍当局によって発せられるものであるが、場合によっては、自治体の首長によって発せられることもある、としている。
④憲法的解釈――日本国憲法第九条はそもそも「無防備国家宣言」である。憲法の精神からして、すべての自治体が無防備地域となるのが当然である。日本国家が戦力を保持することは憲法違反であるから、日本政府はいかなる自治体にも戦力を配備することはできない。また、日本国憲法には「防衛・軍事」に関する条項は存在しない。憲法第九条が戦力不保持を規定していることの当然の帰結として、憲法は「防衛・軍事」に関する条項を置いていないのであり、憲法は日本政府に「防衛・軍事」に関するいかなる権限も付与していない。
⑤体系的解釈――第一追加議定書は、二〇〇四年に日本政府が批准手続きを行い、二〇〇五年二月に効力を有することになったから、日本国の国内法体系の中に位置づけられることになった。従って、憲法、条約、法律の体系的整合的解釈が求められる。日本国憲法、第一追加議定書、地方自治法を相互に矛盾のないように、体系的整合的に解釈することは容易にできることである。日本国憲法第九条は、平和主義、戦力不保持、戦争放棄、交戦権の否認を明示している。第一追加議定書第五九条は、国際人道法の軍事目標主義の具体的方策として、無防備地域宣言を定め、自治体が無防備地域宣言できるとしている。地方自治法は「住民の福祉」を自治体の責務としている。自治体は、住民の生命と暮らしに責任を有する。従って、自治体には憲法の範囲内で平和行政を行うことが要求される。従って、住民の平和と安全を守るために無防備地域宣言をすることは自治体の権限であり責務である。市民が無防備条例を要求することは、憲法前文の平和主義と平和的生存権と、憲法第一三条の個人の尊重の実践である。市民的不服従、非暴力、戦争に協力しない権利を求める運動には体系的な法的根拠がある。
⑥歴史的根拠――沖縄戦の経験からいって、日本軍は軍民混在をもたらして民間人被害を招いた。日本軍は、侵攻する米軍と日本軍の間に民間住民を置いたり、民間住民を軍隊とともに移動させることによって、常時、軍民混在をもたらした。このため「誤爆」や「付随的損害」が生じることになり、沖縄住民は筆舌に尽くしがたい被害を受けた。日本軍は住民を守らなかった。沖縄戦の経験は、軍隊が自己防衛のために、意図的に民間住民を放置し、避難先であるがまから追い出した事実を示している。それどころか、日本軍は住民を殺害したり、「集団死」に追いやった。現在、国民保護法に従って都道府県で策定されている国民保護計画を見る限り、日本政府、自衛隊、都道府県は軍民混在をもたらさないような配慮をおよそ行なっていないと考えるしかない。
以上のことから、自治体こそ無防備地域宣言を行うべき十分な理由がある。
四 憲法第九条を活かすために
以上、<日本型ピース・ゾーン運動>としての無防備地域運動を紹介してきた。最後に、無防備地域運動が日本国憲法との関係でいかなる意味を持っているのかを考えてみよう。
1 憲法第九条を守るとは
無防備地域運動は<憲法第九条を地域で活かす運動>である。憲法第九条があるからこそ無防備地域運動は十分な正当化論拠を手にしている。憲法第九条がなくても世界の平和運動は懸命に努力しているが、憲法第九条を持っている日本では、平和運動はもっともっと様々な工夫ができるはずである。無防備地域運動は<憲法第九条を地域で活かす>ことによって<憲法第九条を守る運動>でもある。
安倍政権は「五年以内に憲法改正を」と唱えている。いよいよ憲法改悪の政治日程が迫ってきた。これに対して、憲法第九条など平和憲法を守るために平和運動は結集しなければならない。
しかし、「憲法第九条を守る」とはどういうことか。何を意味するのだろうか。
言うまでもないことだが「法律を守る」とは、その法律の内容を守るということである。「憲法第九条を守る」とは、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認という第九条の意味内容を守ることである。かつての平和運動・護憲運動が「憲法第九条を守れ」と言った時には、当然、この意味であった。
ところが、現在の平和運動・護憲運動は、この意味で「憲法第九条を守れ」とは言っていない。改悪の危機に直面しているため「憲法第九条規定の表現を守れ」と唱えているのである。客観的情勢から言って、この意味で「憲法第九条を守れ」と言わなければならない。それは正しい。
しかし、それだけでいいのだろうか。戦後半世紀の間、一歩後退、二歩後退を続けて、ついには自衛隊イラク派兵という事態を迎えた平和運動・護憲運動は、すでに百歩も二百歩も後退してきたことを自覚しなければならない。同じようにまた一歩後退、二歩後退を続けながら「憲法第九条を守れ」と小さく呟いても、憲法第九条を守ることはできない。
「憲法第九条を守れ」という課題の二つの意味をもう一度考えよう。
いま憲法改悪の危機に直面して、私たちは憲法第九条を書き換えさせないために「憲法第九条を守れ」といい続け、運動を続けなければならない。
だが、憲法第九条は飾っておくものではない。「日本国憲法第九条は人類の宝だ」という言い方がされることがある。なるほどその通りであり、憲法第九条を世界平和のためにも維持しなければならない。しかし、ダイヤモンドなら放っておいても輝くが、憲法第九条は飾っておいても輝くものではない。憲法や法律は、解釈し、適用するべきものである。平和運動が憲法第九条を活かす取り組みをして初めて憲法第九条はその輝きを見せてくれるのだ。
2 平和をつくる政策と運動を
憲法第九条を守るために、私たちは必死になって平和運動の再構築を図らなければならない。憲法第九条を活かすために、使うために、様々な工夫をしなければならない。いくつもの可能性があるかもしれないが、現に提起されているのが無防備地域運動である。
憲法第九条は無防備国家宣言であるにもかかわらず、守られていない。日本政府に憲法第九条を守らせる運動を続けなければならないが、いまその可能性はほとんど閉ざされている。だとすれば、同時並行的に自治体レベルで無防備地域運動を取り組み、地域において憲法第九条の輝きを取り戻す運動が重要である。
<日本型ピース・ゾーン運動>は、日本社会の平和意識の活性化をめざす運動である。憲法第九条が大切だと思う人間が集まって、憲法第九条は素晴らしいと言って拍手しても、憲法第九条を守る力にはならない。市民自身が、平和を願う市民に呼びかけ、語りかけ、対話を重ねる運動が必要である。条例制定直接請求は、市民が街頭に立ち、駅前に出かけ、商店街を歩きながら、市民に呼びかけることで新しい可能性を示した。各地の路上で「自衛隊は必要だ」「核兵器が飛んできたらどうするのか」と唱える人々との対話を通じて、市民の平和への願いを行動に結びつける運動である。
<日本型ピース・ゾーン運動>は、参加型民主主義の実践であり、反対運動だけではなく平和をつくる運動である。
繰り返すが、悪法反対運動は重要であり、今後も取り組まなければならないが、百歩後退の反対運動だけでは状況は悪化する一途である。憲法第九条を活かす運動がなければ、 「第九条未満」の平和運動にしかならない。平和運動・護憲運動には、平和をつくる政策提言こそ求められている。それは<積極的平和主義>の運動構築を意味するだろう。
憲法第九条は、戦争放棄、戦力不保持、交戦権の否認を掲げている。その世界史的意義は非常に大きいが、とはいえ憲法第九条は「・・・しない」という形での平和主義の規定である。つまり、消極的平和主義である。
それでは「・・・する」という平和主義はどこにあるか。例えば、日本国憲法前文の次の言葉がそうである。
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。
専制と隷従、圧迫と偏狭、恐怖と欠乏との闘いこそ<積極的平和主義>である。言い換えれば、平和学者ヨハン・ガルトゥングが言う「構造的暴力」をなくす努力である。戦争がなければ平和と言えるわけではない。飢餓、貧困、差別や、軍事基地の暴力被害があれば、とうてい平和とはいえない。構造的暴力をなくすための<積極的平和主義>の政策提言と運動を構築することが必要である。
それゆえ私たちは、憲法第九条の消極的平和主義と、憲法前文の積極的平和主義を二本の柱として、憲法第九条を守る運動と憲法第九条を活かす運動と、さらには構造的暴力をなくす運動を組み合わせて政策提言していかなくてはならない。
<日本型ピース・ゾーン運動>としての無防備地域運動の意義は、まさにここにある。
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無防備地域宣言運動全国ネットワーク
資料① 国立市平和都市条例(案)
前文
日本国憲法第97条は、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と定めています。2006年より10年間のまちづくりのあり方を現した「国立市第4期基本構想」では、この精神を具現化するための方策として、「わたしたちくにたち市民は、平和に生き、「人間を大切にするまち」 を再認識して、「文教都市くにたち」のあるべき姿を見つめ直し、育て、生活に根ざしたものにしていきます。」という決意を表明しました。
住民の保護や安全確保は地方自治体の責任において行うものと考えられていますが、日本が2004年8月に加入した「1949年8月12日のジュネーヴ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書」(以下、「ジュネーヴ諸条約第一追加議定書」という。)および「1949年8月12日のジュネーヴ 諸条約の非国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書」などの国際人道法においては、軍人・軍用物と文民・民用物を明確に区別し、文民・民用物が 軍事目標への攻撃の巻き添えになることを防ぐことが基本原則のひとつであり、この原則に沿った予防的措置を構ずることが要請されています。日本国憲法を持つわが国においては、他の国を攻撃したり、他の国から攻撃されたりすることは決してあってはならないことです。しかし、文民たる一般市民がどんなことがあっても戦火に巻き込まれないようにするために、文民・民用物が存在する住宅地や商業地域の内に軍人・軍用物の存在を許さないことが求められているのです。
2000年6月の国立市平和都市宣言には、「世界では、いまだに戦争が絶えず、核兵器使用の脅威はいぜんとして消えていません。私たちは、世界で最初の核被爆国の市民として、世界の平和の実現のために努力していく責任があります。この世に、「正しい戦争」などというものはありません。地球上に、もうこれ以上の血を流してはなりません。私たちは、あらためてこれまでの戦争と暴力のなかにたおれた多くのひとびとの悲しみと苦しみを思い、自由で平和な世界の実現のために力をつくします。新しい千年紀にあたり、私たち国立市民は、平和への強い意思を世界中のひとたちに高らかに宣言します。」とあります。 わたしたちは、過去の悲惨な経験から、二度と戦争をし ない憲法を勝ち獲り、平和に生きることの大切さを学んできたはずです。わたしたちは二度と再び戦争をしてはなりません。再び国民、市民の犠牲を生んではなりません。この国を、再び「戦争ができる国」にしてはなりません。そして、「戦争ができる国」を次世代に残してはなりません。
国立市平和都市宣言に謳われているように、この世に正しい戦争などというものはなく、住民の生活と環境を守るためには、平和の維持こそが唯一の有効な手段であることを確認し、ジュネーヴ諸条約第一追加議定書に規定されている「無防備地区」成立のための4条件を積極的にみたすことにより国立市平和都市宣言の精神を具現化するまちづくりを実現するために、ここに国立市平和都市条例を制定します。
第1条 (目的)
本条例は、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」と定めた日本国憲法の平和主義の理念、わが国の国是である非核三原則、およびジュネーヴ諸条約などの国際人道法の精神に基づくものである。本条例はまた、国立市平和都市宣言(2000年)および国立市議会が採択した国立市非核武装宣言(1982年)に示された理念を現実のものとするために国立市がとるべき施策および行うべき事務について規定し、平和を守るための国立市の責務を明確にすることにより、住民の生命と財産を守ることを目的とする。
第2条 (平和的生存権の保障)
1 国立市に居住するすべての人は平和のうちに生存する権利を有する。
2 平時のみならず戦時および武力攻撃予測事態や武力攻撃事態等においても、その目的の軍事、非軍事を問わず、日本国憲法の定めに反して、人権の侵害、また景観、文化環境および自然環境の破壊がおこなわれてはならない。
第3条 (市の責務)
1 国立市は戦争に関する事務をおこなわない。
2 国立市は新たな軍事施設の建設を認めない。
3 国立市は既存の軍事施設の撤去・廃止が実現するよう努力する。
4 国立市はその他第1項乃至第3項の規定に反する行為をおこなわない。
第4条 (非核政策)
1 国立市は非核三原則を遵守し、市内における核物質の製造・配備・貯蔵はもとより、その持ち込み・飛来・通過をも禁止する。
2 国立市は劣化ウラン兵器を含むすべての核兵器やその他の大量破壊兵器の製造、運搬、使用等を禁止し廃絶するための措置を、わが国ならびに関係諸国の政府、国際連合をはじめとする国際機関、関係諸団体などに働きかける。
第5条 (無防備地区の積極的運用)
1 国立市は、市内に戦闘員、移動可能な兵器および軍用設備が存在しない状態が維持されるよう努める。
2 市内に固定された軍事施設がある場合、それらを敵対的な目的に使用してはならない。
3 国立市は、敵対行為を認めない。
4 国立市においては、軍事行動を支援する活動をおこなってはならない。
5 ジュネーヴ諸条約第一追加議定書第1条に規定される事態に際しては、同第59条の規定に基づき、第1項乃至第4項に示された4条件をみたす地域を、国立市は無防備地区と宣言する。
第6条 (平和行政の推進・予算の計上)
国立市は恒久的な世界平和の実現のために次の各号の事業を実施する。
(1)平和の確立および推進のための国内および国際交流・協力事業、特に他の地方自治体との交流・協力やアジア地域の諸都市との平和友好関係の維持
(2)学校教育および生涯教育・市民教育の場での平和教育の充実・推進および平和意識の啓発・広報活動
(3)平和記念物の保存・展示および平和推進のための拠点となる施設の整備
(4)平和の確立および推進のために市民がおこなう事業に対する援助および助成
(5)その他、以上の各号に準じ条例の趣旨に沿う平和の確立および推進のための事業
2 国立市は前項各号の事業の実施に必要な費用を毎年予算に計上する
第7条 (条例の施行細則)
本条例の施行に必要な事項は、別途規則で定める。
付則
1.本条例は公布の日から施行する。
2.本条例は公布後すみやかに、英語およびフランス語の翻訳文を付けて、国際連合事務局およびわが国と外交関係のある諸外国の在日公館に送付する。
資料② 国立市長の意見書
国立市平和都市条例(案)に対する意見
去る6月23日、地方自治法第12条第1項及び第74条第1項の規定に基づき、「国立市平和都市条例(案)」制定の直接請求がありました。署名の数は、直接請求に必要とする法定数1、193人をはるかに超える4、362人に上っています。国立市民の平和に対する熱い思いの込められた条例制定請求を真摯に受け止め、意見を付します。
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ
これは、1945年(昭和20年)8月6日、広島に投下された原子爆弾により被爆した峠三吉氏の「原爆詩集」の序に書かれ、世界中で読まれている詩です。
この詩に象徴されているように、日本は第二次世界大戦で多くの犠牲を払っただけでなく、生き続けている限り原爆症という死の恐怖や病の苦痛と闘わなければならない、 かつて世界が経験したことのなかった近代戦争のむごたらしさを背負った、唯一の被爆国となりました。自ら起こした戦争によって、自らの運命を破局におとしいれた日本は、 再びその過ちを繰り返さないために、「日本国憲法」の前文で、すべての人間が平和的 生存権を有することを明確にし、世界平和実現のために、国家の名誉をかけることを世界に誓っています。世界の国の中で、平和を願わない国はありません。しかし、新しい憲法の中に平和を明記し、その理念を憲法前文に貫いた憲法だからこそ、新しい日本国 憲法は、平和憲法としての高い評価をえるものになったのです。その平和への名誉をかけた証が、第9条の戦争放棄であり、非戦の国への出発でした。
平和憲法の下、非戦の国として歴史を刻んできた中で、自治体にそもそも戦争参加、有事想定のまちづくりはありえず、多くの自治体は平和都市宣言をしながら、平和自治体としての不断の努力をしてきました。なかでも国立市は、市民主導でさまざまな平和運動が展開されてきました。1957年(昭和32年)、モスクワで開催された「第6回世界青年学生平和友好際」に、当時三多摩原水協事務局長であった国立町議会議員が参加することを、町議会が全会派一致で支持の決議をしています。これは、米軍基地拡 張計画に反対した砂川闘争を議会が支持をしていたことを背景にした決議でした。翌年 1958年(昭和33年)には、原水爆禁止くにたち協議会の運動資金獲得のため、まち全域の商店が大売出しを行い、まちを挙げて原水爆禁反対運動を支援しています。このような市民の意を受け、国立市議会の平和への関心は高く、立川基地への自衛隊移駐に反対する、非核三原則の立法化を要請する、戦艦ニュージャージー機構に抗議する、核戦争防止・核兵器完全禁止・使用禁止に関する、自衛隊の海外派遣によらない中近東紛争の早期解決をめざす等々の意見書を次々に出しました。
特筆すべきは、1982年(昭和57年)に、「国立市非核武装都市宣言」を議会自ら行っていることです。その宣言文には、こう記してあります。「われわれの国立市域にいかなる国の、いかなる核兵器も配備・貯蔵はもとより、飛来・通過することをも拒否することを宣言する。また国立市および国立市民は国内外の「非核武装」宣言都市と手を結び、核兵器完全禁止・軍縮・全世界の非核武装化にむけて努力することを宣言する。」さらに、「「戦争の放棄・軍縮及び交戦権の否認」を、国立市および国立市民の行動原理」とまで断じています。すでに24年前に、国立市議会では、非武装・無防備を先んじて宣言していたのです。
こうした、市民や議会の活発な平和活動の歴史は、国立は平和のまちとの印象を日本国中に発信していました。 そして2000年(平成12年)には、新しい世紀を迎えるに当たり、国立市もようやく「国立市平和都市宣言」を行いました。「自由で平和な世界実現のために力をつく します。」と、あらためて、国立市民が平和への強い意思を宣言したのです。
しかし、2001年(平成13年)、アメリカで起こった同時多発テロ、9.11事件を機に、日本政府は「非戦の国」から「戦争のできる国」づくりへと、大きく舵を切り替えてきました。テロ特措法、有事関連3法、イラク特措法と矢継ぎ早に法改正をしながら、憲法上あり得ない、自衛隊が戦地に駐屯するという実績まで作ってしまったのです。
2002年(平成14年)、このような国の流れに対し、私は「有事関連3法案」が 敵国の武力攻撃から国民を保護するためといいつつ、周辺事態と共存することにより、 すでに国民を広範な戦争に巻き込む可能性を引き起こすとして、廃案の意見書を政府に 提出しました。有事法制3法案に関する44項目の質問を政府に行う中で、1.軍事的公共の名のもとの基本的人権の侵害、2.国民の協力と指定公共機関の責務は、国民統 制につながる危険性、3.地方自治の侵害、という重大な問題があることが分かったからです。「この世に、「正しい戦争」などというものはありません。」という平和都市宣言をした自治体の長として、有事法は到底容認できるものではありませんでした。
有事関連の法制化については、国内外で多くの問題が指摘されていましたが、2004年(平成16年)、有事関連の10案が成立し、「戦争法」がすべて出揃ってしまいました。つまり、戦争法が作られたということは、政府は武力攻撃事態と称する戦争状態を想定していることであり、戦争放棄・非戦の国の実質上の消去であり、国の基本的ありようの転換を意味します。
再び、日本は政府の選んだ道により、戦争の可能性を生み出すことになったのです。
それでは、万万が一、政府の言う有事つまり武力攻撃事態が起こったとして、政府の示す4類型、①着上陸侵攻、②ゲリラや特殊部隊による攻撃、③弾道ミサイル攻撃、④ 航空攻撃等、これらの状況下で、一体自治体は何ができるでしょうか。戦争という事態に至っては、すでに自治体が市民の生命・財産を守りますといえる段階ではありません。 誰一人の犠牲もなく、速やかに戦争が終結するなどという保障はどこにもないのです。
過去の戦争を見れば、第一次世界大戦までは戦死者の95%は軍人でしたが、ベトナム戦争時には戦死者の95%は市民となり、圧倒的に市民が巻き込まれて犠牲になる状況に変わってきています。近年の紛争・戦争はハイテク化し、ピンポイント攻撃で効率 的といわれていますが、イラク戦争では米兵の戦死者2,500人に対し、市民の犠牲者の実態は明確にされていませんが、10万人とも12万人とも言われています。戦争がいったん起きると、犠牲になるのは兵隊ではなく、大半が市民であるというのが現実であり、戦争とはそのようなものであるということです。
日本国憲法前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と、現憲法制定の目的が書かれています。しかし、政府がそのパンドラの箱を開け、戦争への道が開かれたのであるならば、市民の生命財産を守ることを第一の任とした自治体としては、市民の平和的生存権を保障する新たな道を自ら探るしかありません。
市民より直接請求として提案された条例は、国際法である「ジュネーヴ諸条約第一追加議定書」第59条第2項に条件とされた都市づくりと、「無防備地区」の宣言こそが国立市平和都市宣言の精神を具現化する道だとしています。ジュネーヴ諸条約第一追加 議定書第59条第1項には、「紛争当事者が無防備地区を攻撃することは、手段の如何を問わず、禁止する。」とあります。であれば、一般市民保護のために創られた国際法であるジュネーヴ諸条約第一追加議定書を生かしたまちづくりは、現実的な平和政策として最も効果的であり、かつ憲法第9条を自治体レベルで着実に実現することにもなります。
政府は、戦争法である有事関連法案を策定するのと引き換えに、2004年(平成16年)、この「ジュネーヴ諸条約第一追加議定書」を批准しました。これにより、政府は自治体が無防備地区宣言をすることにより、戦争から自治体が離脱する権利を有することをも認めることになりました。よって、住民による無防備地区宣言の権利も保障しなければならないということです。
「にんげんのよのあるかぎりくずれぬへいわを」実現するため、そして、基本的人権と平和的生存権は不可侵のものだからこそ絶対に戦争は認められないという立場から、自治体が国際法にのっとり戦争離脱をするという手段を取り入れた条例を、市民を守る最も有効な道として、国立市の条例にしたいと思います。
願わくば、このような条例を持つ自治体が全国に広がり、たとえ国の姿勢は「戦争のできる国」であろうと、憲法第9条を実現化させようとする「無防備による戦争放棄のまち」が日本全土を包囲し、実質的な「無防備による戦争放棄の国」にならんことを、切に希望します。