週刊金曜日(2)

軍隊のない国家を歩く(2)
ポリネシア地域

 

 南太平洋各地には「サシミ」という料理がある。
サモアでもトゥヴァルでも食べた。サシミを注文すると、マグロの刺身がど~ん、と出てくる。一皿に一五切れから二〇切れは載っている。日本なら刺身定食は五切れか六切れが普通だが、南太平洋のサシミは贅沢だ。
 太平洋で操業する日本漁船が各地の港に寄るので、マグロの刺身が広まったという。マグロはあるが、ほかの魚のサシミは見かけない。平目や鯵もと欲張るわけにはいかない。
昼にはココナツ・ジュースが旨いが、南十字星の下でのビールとマグロのサシミは堪えられない楽しみだ。醤油はキッコーマン。所によっては、わさびがないのが玉に瑕だ。

ポリネシア

 ポリネシアとは、太平洋東部全域を指す。島が多いことから西欧人がつけた名称である。独立国は、サモア独立国、トゥヴァル、トンガ王国、クック諸島、ニウエである。赤道以北にはハワイ、赤道以南にはタヒチなどのフランス領ポリネシア、アメリカ領サモア、イースター島などもある。独立国のうち軍隊を持っているのはトンガだけである。
 サモア独立国は、一九六二年一月一日に独立した。当初は、西サモア独立国という名であったが、一九九七年、サモア独立国に変更した。面積は二九三五平方キロ、人口は一七九万人、首都はアピア(三万二千人)である。ポリネシア系サモア人が九〇%、その他欧州系、メラネシア系、中国系等が居住する。公用語はサモア語と英語であり、宗教はキリスト教(カトリック、メソジスト、モルモン教等)が一〇〇%だ。
 一九六〇年に制定された憲法第一条は、サモア独立国は自由な主権国家と規定している。政体は立憲君主制であり、元首はマリエトア・タヌマフィリ二世である。
 行政権は元首に属し、首相は議会の指名によって元首が任命する。議会は、元首と立法院によって構成され、一院制で、任期は五年である。最高裁判所長官は、首相の推薦により元首が任命する。三権分立の枠組みは西欧諸国に倣っている。
外交政策は、ニュージーランドやオーストラリアとの緊密な関係を維持し、南太平洋地域諸国との協力関係、国連活動への貢献が柱である。軍隊は保有していない。ニュージーランドとの友好条約に基づき、有事の際はニュージーランドが支援することになっている。他の諸国も似た状況にある。
 サモア政府庁舎で軍隊のない事情について質問してみた。三人の職員が応対してくれたが、「軍隊がないって?当たり前だから、特に考えたことがない」。「独立した時の議論? 聞いたことがないよ。必要ないので最初からつくらなかったのだと思う」。こうした返事しか返ってこなかった。
 独立時の憲法制定作業を調べれば何か出てくるのかもしれないが、今回はそれだけの余裕がなかった。
 サモアは、グアムやタヒチと違って観光開発が進んでいないので素晴らしい自然が残されている。アメリカ領サモアはアメリカ文化の影響で伝統文化が失われたが、サモアにはまだ伝統文化が受け継がれている。

 海に沈む島

 トゥヴァルは「世界でもっとも低い国」と言われる。
 珊瑚礁が隆起した環礁なので、平均標高は一メートルと言う。首都のあるフナフチ島の最大標高が三・六メートル、平均標高が一・五メートル。山もなければ谷もない。丘や高台すらなく、全土が平坦である。
 フナフチで一番高いところは、太平洋側の海岸である。太平洋の波が打ち寄せて小石が積みあがるため、外海側の海岸線が一番高い。
島の中央部にある飛行場の隣にグランドがあり、観客席の裏側が海岸だ。積みあがった石に登って頂点に立つと、果てしない太平洋と、小さな環礁の対比が極めてくっきりと見えてくる。
 飛行場の滑走路は標高〇メートル程度の場所である。内海はラグーン(礁湖)で、波がない。日々のお魚漁には最適の海であり、子どもたちには格好の遊び場だ。
 トゥヴァルは、地球温暖化による海面上昇に伴って海に沈む国の代表格だ。
太平洋ではキリバス、マーシャル諸島など、インド洋ではモルディヴなどが、すでに海岸線が侵食され、海面上昇によって国土が減り始めている。インドの海岸沖合いに並んでいた数百の小島が消えてなくなったと言う。海面上昇は、海水の膨張が約半分、南極やグリーンランドの陸氷や高山の氷河が溶けるのが残りであるという。ただし、科学者の中には、氷が溶けると体積が減るので直ちに海面上昇が起きるわけではないという説もあるそうだ。
 海面上昇によるのか、波による海岸浸食であるのかは知らないが、トゥヴァルの海岸線は素人目に見ても退行し、現に国土が海に沈んでいる。かつては砂浜があったのに、フナフチに砂浜はなくなった。すでに海没した小さな島もあるし、歩いて行けなくなった島もある。
  フナフチ本島北部では、海没がはっきりと目に見える。沈んだ部分をコンクリートで固めているのだ。満潮時には太平洋が迫ってくる。恐怖だ。
 海水が島の内部から吹き出る洪水に見舞われる珍現象もある。外からの荒波ではなく、海水が地下を通って地面から湧いて出るのだ。海面上昇、洪水、海岸浸食といった被災は極めて深刻である。
 トゥヴァル政府は、二〇〇〇年二月、島が沈んで消える前に住民を国外移住させる決定をした。国土の消失を防ぐため手立てを尽くすが、うまくいかなかった場合には移住しかない。ニュージーランド政府が、年間七五人ずつ、トゥヴァル人の移住を受け入れた。
 首都にある法律事務所を訪れて、女性弁護士に話を聞いた。
トゥヴァルには弁護士が八人いるが、そのうち三人が女性である。ほとんど南太平洋大学法学部出身だ。南太平洋大学は、南太平洋地域の諸国が協力して設立した大学で、本校はフィジー共和国の首都スヴァにある。とても広い校舎の素敵な大学だ。もっとも、法学部はメラネシアのヴァヌアツ共和国にある。彼女もヴァヌアツで学生時代を過ごした。女性弁護士のうち一人は検察の仕事をしているので、弁護士として活動しているのは二人だ。
 軍隊がないことについては「小さな国だから軍隊をつくるという発想自体なかったでしょうね。今はそれどころではなくて、島が海に沈むのが大問題よ」という。

ラロトンガ条約

 クック諸島とニウエも軍隊のない国家だ。
 ただし、国際連合に加盟していないし、日本政府は承認していない。日本では両国を「自治領」と呼ぶ例が多い。しかし、国連加盟は国家の要件ではない。スイスは二〇〇二年に国連に加盟したが、それ以前は国家でなかったなどと言う人はいない。とはいえ現実にはほとんどの国家が国連に加盟している。
クック諸島は子どもの権利条約、海洋法条約、国際民間航空条約、生物多様性条約、ユネスコ憲章、化学兵器禁止条約などの加盟国である。ニウエは子どもの権利条約、生物多様性条約、ユネスコ憲章、世界遺産条約、対人地雷禁止条約などの加盟国である。
 クック諸島もニウエも、南太平洋地域の諸国で結成している太平洋諸島フォーラムの一員である。二〇〇七年八月にアピア(サモア独立国)で開催されたスポーツの祭典「南太平洋ゲーム(オリンピック)」にも代表団を派遣している。
 そして何よりもクック諸島とニウエは、南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)の当事国である。
南太平洋地域では、アメリカがマーシャル諸島で、フランスがフレンチ・ポリネシアのムルロア環礁で核実験を続けた。日本政府は、核廃棄物の大洋投棄を検討していた。
 これに対して、非核・独立太平洋運動が発展してきた。多くの地域が独立していなかった「核の植民地」(前田哲男)の時代から始まり、一九八〇年に「非核太平洋人民憲章」が採択され、一九八三年に「非核・独立太平洋憲章」となった。この運動は、欧米諸国からの地域の政治的独立だけではなく、先住民族の主権回復運動でもあった。
 一九八五年八月六日、クック諸島の首都ラロトンガで開催された南太平洋フォーラムにおいて、南太平洋非核地帯条約(ラロトンガ条約)が採択された。広島原爆投下から四〇年目の八月六日であった。 
条約は一九八六年に発効した。批准は、ニュージーランド、オーストラリア、フィジー、パプアニューギニア、サモア、ソロモン諸島、ナウル、トゥヴァル、キリバス、ヴァヌアツ、クック諸島、ニウエである。
 条約は、核爆発装置の製造・取得・所有の放棄、平和的原子力活動、国際核不拡散制度の支持、核爆発装置配置の防止、核爆発装置の実験・援助奨励の防止、放射性廃棄物・放射性物質投棄の防止などを定めている。
 ラロトンガ条約はラテンアメリカ核兵器禁止条約(一九七六年)に続くものであった。その後、東南アジア非核地帯条約(一九九五年)、アフリカ非核地帯条約(一九九六年)、中央アジア非核地帯条約(二〇〇六年)が続いた。
 サモアにもトゥヴァルにも、クック諸島にもニウエにも、軍隊も核もない。人々が自然を大切にしながら生きていく世界に、軍隊も核も必要ないからだ。