空に歌えば――平和・人権・環境(5)

世界を旅して、出会って、歌って 横井久美子


 ベトナム戦争のさなか、ハノイに住んでいた一〇歳のチャン・フオン・リエンさんは、有線放送から流れる日本の歌を聴いた。アメリカによるベトナム戦争に反対する歌だった。なかの一曲に魅せられて、何度も歌った。そして日本語を学び始めたという。戦争が終わった後は古都フエに住んでいた。想い出のあの歌の歌手に会いたい。あの歌手はどうしているのか?
 「あの歌手」は「横井久美子」。そして「あの歌」は「戦車は動けない」だった。三〇年を越える歳月を隔てて、ベトナム女性から横井久美子にEメールが届いた。ベトナム反戦運動を闘っていた日本人グループの一人として横井はベトナムで「戦車は動けない」を歌ったのだ(『しんぶん赤旗』一月二一日より)。

戦車は動けない
このまちの橋をわたって
銃口をベトナムに
子どもらをねらいうつ
戦争は通さない
戦車は動けない

 ベトナム戦争でアメリカは七八五万トンの爆弾を投下し、七五〇〇万リットルもの枯葉剤を撒き散らして、ベトナムの人々と自然を破壊した。ベトナム戦争に全面協力したのが日本政府であった。
神奈川県相模原市の米軍相模原補給廠からはM四八戦車がベトナムに送られた。戦争協力に反対した相模原市民が立ち上がったのは一九七二年、戦車の送り出しに反対し、一〇〇日に及ぶ阻止闘争が組まれた。運動の中から生まれた歌が「戦車は動けない」(門倉さとし作詞、青山義久作曲)である。市民が「戦争を止めた」記念碑的な歌だ。
 一九七三年一一月、女性文化代表団の一員としてベトナムを訪れた横井は、ベトナム各地でこの歌を歌った。有線放送でベトナムじゅうに横井の歌が響き渡った。
「歌は歴史を越え、時空を越えて伝わっていきます。たった一つの歌、三分間だけの歌ですが、一冊の分厚い本にも勝る内容を伝え、思いも寄らぬ遥かな彼方に伝わるのです」と語る横井だが、横井の歌も歴史を越え、時空を越えてきた。
 横井久美子は、一九六九年三月、函館労音に招かれたコンサートからソロ活動を開始した。平和と愛を歌い、冤罪、薬害、原爆被害、環境破壊、差別の現場を訪れて、歌を紡ぎ、人々とともに歌ってきた。二〇〇四年に発売された三五周年記念アルバム『VIVA KUMIKO』(CD六枚組)には、日本各地を、そして世界中を駆けめぐってきた行動するシンガーソングライター横井の世界が集大成されている。
 横井のフィールドはあまりにも広い。世界をまたに飛び回っている印象を与える。しかし、横井の拠点は国立市であり、日本各地の横井を支える歌う仲間である。
 第一に、国立である。一九七六年四月から毎月「おいで一緒にinくにたち」を百回にわたって開催した。その後も「私の愛した街」リサイタルなど国立での活動を続けている。
 第二に、一九八四年には「おいで一緒にin東京キャラバン」を東京各地で開いた。さらに一九九二年四月から「春秋楽座」を開始し、以来全国八九ケ所の「三〇人組」とともに現在までに二五〇回の「楽座」を開催している。                     
 ベトナム反戦を一つの「原点」にもつ横井が世界に飛び出していったのは必然的だったかもしれない。一九七四年三月、九段会館の「チリ人民連帯中央集会」でチリ人民連合の歌「ベンセレモス」に日本語歌詞をつけたかと思えば、一九七五年二月、ベルリンで開催された「第五回ポリティカル・ソング・フェスティヴァル」に招かれて演奏し、そこで歌われていた「私の愛した街」「四月のカーネーション」を日本に紹介した。「私の愛した街」は「ともしび五〇年のベスト一〇」(二〇〇五年発表)の七位にランキングされている(『朝日新聞』二〇〇五年一二月二三日)。
その後もアメリカ、フィリピン、スリランカ、ニカラグアを訪れているが、転機となったのは一九八八年八月のアイルランド訪問だ。一九九一年八月には自転車でアイルランドを横断して、その体験を『ただの私に戻る旅』(旬報社)として出版している。一九九八年九月には、文化庁芸術家在外研修員としてアイルランドに留学し、以後毎年のようにアイルランド聖メアリー大聖堂でコンサートを開いている。
二〇〇〇年六月の国連特別総会二〇〇〇年女性会議にNGOの一員として参加し、一〇月にはワシントンの「二〇〇〇年世界女性行進」に加わった。二〇〇一年一〇月には、ハーグ(オランダ)の女性国際戦犯法廷判決公判にも参加している。アフガニスタンの子どもを救援するためにCDを発売したかと思えば、ワルシャワ(ポーランド)のジュストラ宮殿でコンサートを開く。二〇〇七年一月には、チリ・ベネズエラ・ツアー&コンサートに出かけ、ベネズエラ「ボリバル革命」の熱い息吹に触れてきた。
 日本のシンガーとしては並外れたスケールの大きさだが、横井は「原点」を忘れないし、そこから離れようともしない。
 二〇〇七年のスケジュールを見ても、国立での恒例コンサートがあり、松戸、京都、戸隠での「春秋楽座」、「原爆訴訟サポートコンサート」、「枯葉剤被害者を支援するベトナム・ツアー&コンサート」、やはり恒例となった「アイルランド・ツアー&コンサート」が予定されている。
 ベトナムには、二〇〇三年から毎年訪問している。「ベトナム反戦を叫んだ世代として、もう一回ベトナムに向き合いたい。枯葉剤被害者の支援もあるが、ベトナム戦争を通して世界を学んだ私たちは、いま起きているイラク戦争を見つめつつ、日本で世界にどう向き合うのか、戦争にどう反対するのか考えたい」と語る。
 世界を旅して、出会って、歌い続けた横井は「歌って 愛して」(横井久美子作詞・作曲)でこう歌う。

生きることはいつも 淋しさがみちづれ
生きることはいつも 夢がみちづれ
夢を追い求め 寂しさにおそわれ
いくたび涙を 流したことだろう
 歌って愛して
 夢を見ながらたたかいたい あなたと
 歌って愛して
 夢を見ながらたたかいたい

 

 

歌にありがとう            横井久美子作詞・作曲

歌は私に教えてくれた
この世にどれほどの悲しみと痛みがあるかを
歌は私を鍛えてくれた
独りを恐れるな すべては独りから始まると
たとえ大地が悲鳴をあげて
憎しみが大空を覆っていても
こんなにも私が 愛を感じるのは
歌があったから
歌にありがとう あなたにありがとう
歌にありがとう ありがとう

歌は私に示してくれた
人間が積み上げた英知を 人生の深さを
歌は私を清めてくれた
あるがままでいいと まっすぐ顔を上げて
生きてきたねと
たとえ世界が闇につつまれ
争いが地上を覆っていても
こんなにも人生を美しく感じるのは
歌があったから
歌にありがとう あなたにありがとう
歌にありがとう ありがとう

 

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マスコミ市民2007年5月