空に歌えば――平和・人権・環境(7)

歌う美ら島沖縄大使
宮村みつお


 

わたしは
    生きています
    生きている人間です
    生きている人間として
    この世であつかわれたいです
 
 宮村みつおは福岡県出身・在住の、歌う沖縄県大使である。
沖縄復帰の一九七二年、初めて沖縄を訪れ、以降、沖縄通いが始まる。琉球の酒・泡盛、音楽、焼き物、琉球ガラス、染め物、織物、沖縄戦跡、米軍基地など、色々な角度から沖縄を見つめ、体験するうちに重度の「沖縄病」にとりつかれた。
最初から沖縄の「歴史」に関心を寄せていたわけではないという。太陽の光溢れるきれいな沖縄しか知らなかった。八二年、あるセミナーで戦跡のガマを見学したことが一つの転機になった。沖縄戦の追体験が宮村を変えた。気がつくと米軍基地の鉄条網は「こっちを向いている」。基地めぐりが始まる。もう一つの沖縄が見えてくる。沖縄の「歴史」が押し寄せてくる。沖縄に入れ込み、沖縄に永住するはずだった。
「ポパイに登場するブルータスの口髭を彷彿させる九州男児、宮村みつおの風貌は沖縄の屋根瓦に座っているシーサー(魔除け)にソックリのことから『みつお』を人呼んで『シーサーマン』とあだ名が付いた」(大工哲弘)という。
 シーサーマンことみつおは、沖縄に染まりきっていた。ところがある時、知り合いに言われた。
「あんたじゃなければできないことをやったらどうか」。
 なるほど沖縄文化を発信することはウチナンチュたちの課題だ。それでは自分がするべきことは何か。考え直した宮村は北九州を拠点に文化発信することを決めた。
 一九九三年五月、北九州市小倉北区紺屋町に二〇年間あたためてきた沖縄への思いを具体化した琉球料理と泡盛の店「シーサー屋」を開いた。単なる沖縄料理ではなく、北九州における沖縄文化の発信地としての店舗である。沖縄をこよなく愛する人たちと「北九州三線クラブ」や「北九州泡盛を楽しむ会」を開き、沖縄文化の紹介と普及に精力的に活動している。
 長年の活動により九八年には「北九州市観光協会・ホスピタリティ賞」を受賞した。初代の「那覇市観光大使」にも任じられ沖縄文化を発信し続けている(現在五期目)。二〇〇四年には「美ら島沖縄大使」(沖縄県)にも就任した。
 宮村は沖縄を宣伝し、沖縄文化を普及するために次々とアイデアをひねり出して活動してきた。沖縄のアーティストを招いてのコンサートをはじめ、歌や踊りのフェスティバル、チャリティ・コンサート、美術展、泡盛を楽しむ会、泡盛列車など、各種イベントを次々と繰り出してきた。しかも「琉球アーティスト」としてどこへでも出かけてゆき自ら三線を持って歌う。沖縄民謡から大衆的平和運動の闘いの歌までレパートリーは広い。
 「かたき土を破りて 民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ」「我らのものだ沖縄は 沖縄を返せ」と歌う「沖縄を返せ」は、一九六〇年代後半から一九七二年の沖縄返還にいたる過程で全国で歌われた。福岡の労働組合員らが作詞し、荒木栄が作曲した歴史的名曲だ。沖縄返還後も歌い継がれたが、歌詞の「民族」「我ら」が日本民族を意味していることもあって、時には疑問が差し向けられるようにもなってきた。
ところが、米軍兵士による少女暴行事件が起こり、基地問題が改めて浮上した一九九五年、「沖縄を返せ」を「沖縄に返せ」と一文字変えることによって再び沖縄の米軍基地撤去運動、平和運動の中で幅広く歌われるようになった。歌が運動とともに成長し、時代を超えた。宮村も「沖縄を返せ 沖縄へ返せ 沖縄を返せ 琉球へ返せ」と歌う。
 宮村は「がんばろう!」にも新しい光を当てようとする。「がんばろう つきあげるそらに わをつなぐなかまの こぶしがある おしよせるなかまの こぶし がある」。労働運動や平和運動の現場で歌われてきた「がんばろう!」を「沖縄を返せ 琉球へ返せ!」とセットにすることで、平和運動の「たたかいはここから」とエールを送る。非武の国を想い、自身を鼓舞し、仲間に連帯を送り、たゆまぬ平和運動を歌い上げる。
 二〇〇〇年には福岡県行橋市に九州で初めて沖縄文化の発信拠点、沖縄文化ひろば・やすらぎの家「シーサー館」をオープンした。沖縄文化を紹介するイベントはもちろん、ライブや展覧会など幅広い催し物の場として、地域の文化振興にも積極的に貢献している。「イチャリバチョーデー(出会えば皆兄弟)」「人間大好き」をモットーに多くの人たちを元気にする活動をしている。

酒が好き
人間が好き
平和が好き
泡盛は変わる時代の変わらぬ銘酒

シーサー館には泡盛資料館も併設し、沖縄県内四八メーカーの泡盛・古酒逸品の数々を保管する。
最近は沖縄のミュージシャンのプロモートも手がける一方、ヤマト(本土)のアーティストの作品展を沖縄で開いている。また「宮村みつお『風の詩』詩ハガキ集」も発行している。

つみかさね
つみかさね
なにごとも
つみかさね
わたしの心を
つみかさね

 愚直にみえて、先行きをしっかり読んでいる。わき目も振らずまっしぐらだが、何よりも楽しむことを基本にしている。走り出したら止まらない。「バイタリティが洋服を着ている」(西川幸夫)といわれるシーサーマンは、三線と泡盛さえあれば無敵だ。

 

Webサイト
シーサー館

 

ハッピーシーサー
           詞・曲:宮村みつお

南の国の 青い空
赤いかわらの 屋根の上
とぼけた顔した シーサーは
みんなの幸せ 守っている

台風だって 来るんだぜ
お陽さまだって 暑いんだ
仕事はつらいが シーサーは
うまい空気を 吸っている

かわらづくりの 職人が
心をこめて 作るんだ
生まれは遠く エジプトの
ライオンなんだ シーサーは

アカバナ ユウナ サンニン バショウ
ブーゲンビレア ディゴの花
南の国の シーサーは
花の香に つつまれて
とぼけた顔した シーサーは
みんなの幸せ 守っている



マスコミ市民2007年7月