旅する平和学(2)
アイスランドから米軍撤退

 二〇〇六年九月三〇日、アイスランドから米軍が撤退し、ケフラヴィク海軍航空基地が閉鎖された。約一二百人の米兵やその家族が引き揚げた。撤退は世界規模で進む米軍再編の一環である。アイスランドは国軍を保有していないので完全な非武装国家になった。米軍撤退後の軍隊創設も否定している。跡地の民間利用によって地元経済の発展をめざす。約七百人の基地労働者の再就職は政府が斡旋した。

最初の非武装永世中立

 白夜とオーロラの国アイスランドは、氷河と温泉の国でもある。住民の大半は海岸部の町に居住し、中央部は荒涼とした大地である。自然の厳しさと素晴らしさを体感できる。首都レイキャヴィクは小高い丘の上にあり、港から続く緩やかな坂を登ると中心にハトリグリム教会がそびえている。「アルシンギ」という伝統的な自治議会制度をもとにした「自由国」をつくってきたが、デンマーク領であった。一九世紀に独立運動が盛んとなり、一八七四年憲法が議会を設置したが、デンマーク政府閣僚が担当大臣であった。一九一八年、デンマークとの同君連合・共通外交政策のもとで独立し、非武装中立宣言を行なった。世界最初の非武装永世中立であった。レイキャヴィクの大統領府前中央広場で独立記念式典が催された。


 政治学者ベネディクト・グレンダルによると、デンマークは、両国が共通防衛政策を確立するべきだと主張した。これに対してアイスランド代表は反対した。いずれか一方が戦争を開始したり、侵略に対して防衛を余儀なくされた場合でも、他方の国家は中立を宣言することができると主張した。結局、同君連合協定第一九条が採択された。デンマークが、他の諸国家に対して、アイスランドが主権国家であり、永世中立を宣言し、戦争のいずれの側にもつかないと認めると規定した。


 グレンダルは「永世中立が決まった時、まだ戦争が続いていた。一九一四年以来、アイスランド人は、デンマークが紛争に引き込まれ、アイスランド独立が講和会議において欧州主要国の手に委ねられてしまうことを恐れていた」という。永世中立を望んだ理由である。
 政治学者ウィリアム・カルヴァートは、一九一八年の中立政策について「基礎となったのは、中立自体がアイスランドの安全を保障するというよりも、アイスランドがイギリスの影響圏にあるという認識であった。中立政策は当初は成功したが、第二次大戦の開始によって機能しなくなった。一九二〇年、レーニンはコミンテルン代表会議の演説で、欧米を巻き込んだ将来の戦争で軍事的に焦点となるのはアイスランドだと予言していた」と述べている。
 アイスランドは中立政策をとったため国際連盟には加盟しなかったが、一九二八年の不戦条約に署名した。

NATO加盟と米軍駐留

 ところが、第二次大戦が始まり、ナチス・ドイツがデンマークを占領したため、アイスランドもナチスに占領される恐れが生じた。そこで一九四〇年、イギリス軍が先んじてアイスランドを占領した。いかなる抵抗もなかったので、犠牲も出ていない。イギリスはアメリカとアイスランドの協定を取りまとめ、アメリカに占領政策を委ねたので、米軍がアイスランドを占領した。レーニンの予言が現実となった。
 ナチスの脅威がなくなった一九四四年、アイスランドはデンマークとの同君協定を破棄して独立を回復し、アイスランド共和国となった。
 占領は第二次大戦終了後に終結するはずであったが、実際には米軍は撤退しなかった。一九四六年、アメリカはアイスランドとの合意により、ケフラヴィク基地を軍事輸送基地として利用することになった。マーシャル・プランによる復興援助が実質的な取引条件となった。
 一九四九年、アイスランドは、平時にはいかなる軍隊の駐留も認めないとの留保を主張しながらNATOに加盟したが、この留保は文書化されなかった。一九五一年、アメリカ・アイスランド秘密協定が結ばれた。ケフラヴィク基地は輸送基地として利用され、ソ連潜水艦などの監視の役割も果たしていた。なお、NATOに加盟したが軍隊は保有していない。
 一九五〇年代、米軍駐留をめぐる論争が政治課題であった。外国軍駐留そのものに反対する意見に対して、政府は米軍がアイスランドを防衛すると説明した。米軍兵士による犯罪や、米軍兵士の買売春増加も批判を受けたが、他方、米軍による空港建設等の労働力需要によって失業が減ったと強調された。徐々に縮小されたものの駐留は既成事実と化し、論争は過去のものとなっていった。
グレンダルは、冷戦終結による対米関係の再編とEU統合の動きの中でのアイスランドの地位の不確かさについて論じる中で、冷戦終結による日米関係の再編と対比している。NATOと日米安保条約の類似も知られるが、アメリカ・アイスランド協定との比較も必要である。同協定と日米安保条約を対比する議論は日本で耳にしたことがないが、グレンダルは両者の共通性を明確に指摘している。北極を中心に見ると容易に明らかになるが、アメリカから見ると、アイスランドはヨーロッパの手前にあり、日本はアジアの手前にある「不沈空母」である。
 ところが、ヨーロッパ政治情勢は大きく変容した。東西冷戦が終結し、EUの安定発展により、欧州戦線は想定する必要がなくなった。米軍は中東から東北アジアにかけての「不安定の弧」に向けた再編を行っている。アイスランドからの米軍撤退と沖縄の米軍再編はコインの裏表の関係にある。ヨーロッパと異なり、東北アジアは軍事的緊張が続いている。沖縄から、そして日本から米軍を撤退させるために、米軍駐留を不要とする国際関係をつくっていく必要がある。

 

(月刊社会民主2008年 1月号)