旅する平和学(3)
海底炭鉱に眠る朝鮮人遺骨


 宇部市床波の海は穏やかで、キラキラと輝いていた。時折、海鳥が視界を横切るが、彼方まで続く紺碧の海だ。
 瀬戸内の静かな海を眺めていると、あまりにものどかだ。この海の歴史、長生炭鉱の悲劇を知らずに佇んでいると、空の青と海の青が別れたり繋がったりする様子に、ゆったりした気分になる。

長生炭鉱水非常

 二〇〇七年一一月三日、山口県宇部市で「在日朝鮮人歴史・人権週間」全国集会が開催され、「長生炭鉱の“水非常”を歴史に刻む会」の案内により、水非常犠牲者の追悼式が行われた。水非常とは炭鉱の水没事故のことである。

「一九四二年二月三日午前六時、山口県吉敷郡西岐波村にあった長生炭鉱は、坑内現場事務所より一五〇メートルばかり離れた五段階層より異常出水が始まり、同日午前八時頃水没しました。この水没事故で多くの尊い生命が犠牲になりました。この犠牲者の殆どが日本帝国主義により土地・財産を奪われて祖国で生活を営むことが出来なくなった為にやむなく日本に仕事を求めて渡って来て強制労働を強いられた朝鮮人、一九三九年に始まった『募集』により労働力として故郷(慶尚北道・南道が大半)から強制連行され、強制労働を強いられた朝鮮人でした」(山口武信・フィールドワーク資料「海に沈んだ炭鉱」より)。

 


 犠牲者数は一八三名とも言われるが、西光寺の「位牌」は一八七体ある。名簿に名前があっても位牌のない者もいれば、位牌はあるが名簿にない者もいるため正確なことはいまだに不明である。坑道に海水があふれて逆流してくるのを抑えるため急いで坑口を塞いだので、坑道内で働いていた人員の確認もなされていない。行方不明者が犠牲者と推定された。犠牲者のうち一三五名以上が朝鮮人であったが、「創氏改名」のため犠牲者の本名を調べることもできない。

 

 


 第二次大戦中に国内各地の炭鉱や工事現場で多くの朝鮮人が亡くなったが、一度に一三五人もの朝鮮人が死亡したのはここだけである。身世打鈴(身の上話)の「ノレカラ」の歌は、強制連行された朝鮮人炭鉱夫の思いを歌う。各地で酷使された朝鮮人の歌である(『写真万葉録筑豊アリラン峠』より)。

一五歳少年が病気になったが
休みはもらえずぶんなぐられたよ
棍棒でなぐられ坑内にたたきこまれ
落盤の下敷きになって死んでしまったよ
死んだ子をひきだして手足をさすり
涙ながらに名前を呼んだよ
監督野郎は棍棒をふりあげ
死人はほっとけ 石炭を出せと言ったよ

海底に眠る魂

 一九八二年に炭鉱関係者らが「殉難者の碑」を建立したが、碑文を見ても朝鮮人が犠牲者であったことはわからないように書かれている。
 「歴史に刻む会」は、水非常で犠牲になった人々の調査と慰霊のために活動してきたが、近年、現地に残されていた海底炭鉱への坑口・巻櫓の台も破壊され、抗口がどこにあったかも正確にはわからなくなってきている。海岸から見える二本のピーヤ(排気・排水坑)だけが残された遺跡である(写真)。ピーヤの下を走る坑道にすべての遺体が眠っている。
 歴史に刻む会は、現場の調査や資料の発掘に続いて、当時、炭鉱で働いていた二人の生存者がいることを突き止め、韓国に代表を派遣した。
 強制労働と水非常の地獄から生還した二人は、金ギョンボン(ソウル)とソル・ドスル(慶尚北道)で、ともに八十代半ばの老人である。六五年前の水非常の惨事も同時に体験している。韓国側でも真相究明委員会が調査を続けていて、二人が生存者であることが判明し、聞き取り調査も行われている。韓国の真相究明委員会メンバーも来日し、現地調査を行った。こうして日韓両国の調査協力が実現することになった。しかし、日本政府も宇部市も積極的に調べようとはしない。
 全国集会参加者は一八七の位牌を前に慰霊式を行った後、海岸に出て、海に向かって花をささげた。遺族会による追悼式もここで行われたという。

父さん! 私のお父さん!
ここに 白い布地が 一枚あります
悲しみに 血が湧き その恨みに 海を湧かせ
あなたの なきがらが 腐らずにいる
今 私たちの手に 清い布地を もってつつみ
故郷に 連れて帰ります
遠い 異国の地 海の底から 出てきて
今や 帰りましょう
眠れない 霊魂たちよ・・・
今 恨みの歳月を越え
故郷の丘に 帰りましょう

 追悼の後、「在日朝鮮人歴史・人権週間」全国集会は、日本による朝鮮植民地支配の違法性、長生炭鉱事故の調査結果、そして現在の在日朝鮮人に対する差別と人権侵害について報告を受けた。島敞史(長生炭鉱水非常を心に刻む会)は、限られた資料を基に粘り強く進めてきた調査を紹介した。洪祥進(朝鮮人強制連行真相調査団朝鮮人側事務局長)は、日本が朝鮮植民地化への一歩を踏み出した一九〇五年条約の国際法違反性を指摘し、全国各地に眠る朝鮮人遺骨問題を訴えた。歴史・人権週間の基本資料はブックレット『2007在日朝鮮人歴史・人権週間』(同実行委員会)に収録されている。
最後に、集会参加者一同は、「長生炭鉱水没事故の真相糾明、現地に全犠牲者の名前を刻んだ追悼碑の建設、ピーヤの保存実現のために、日本政府と山口県内の関係当局が努力することを強く求めます」とアピールを採択した。