救援06年11月号
ヘイト・クライム(憎悪犯罪)(四)
犯罪学の失敗
ホール『ヘイト・クライム』第五章はヘイト・クライム犯罪者の分析を試みている。ベン・ボウリングによると、イギリスで人種差別を犯罪として研究するようになったのは一九八〇年代からで、きっかけは一九八一年のブリクストン暴動の発生や同じ時期の被害者学の発展であったという。バーバラ・ペリー『憎悪の名において――ヘイト・クライムを理解する』(ルートリッジ出版、二〇〇一年)によると、アメリカでもヘイト・クライムは「新しい」現象と理解された。ホールは偏見がいかにして否定的な行為に転換するのかを犯罪学は説明できなかったという。ペリーも犯罪学はヘイト・クライムを説明してこなかったという。歴史的には、マートンの緊張理論が最初の説明であった。マートンによると、犯罪は西欧社会における成功目標と、目標達成のために個人に与えられている手段との間の不適合である。この理論がヘイト・クライムに適用され、例えば「外国人」によって仕事や社会的資源が奪われたとか、「アウトサイダー」によって経済的安全が脅かされたと考えた者による犯罪という説明がなされた。目標達成の正当な手段に対する脅威への反応である。この説明を支える実証研究もなされた。
しかし、ヘイト・クライムは緊張が生じた時期や緊張がもっとも激しい時期に起きるとは限らない。ヘイト・クライム被害者は圧倒的に少数者であることが多く、社会にさほどの経済的影響を与えるわけではない。加害者側もあらゆる階層にわたっている。ペリーによると、ヘイト・クライム犯罪者には、社会において比較的権力の地位にある者が含まれ、その地位が脅かされていない。それどころか権力の最高の地位にある者がヘイト・クライムを犯してきた。それゆえマートン理論はヘイト・クライムを説明できない。そこでペリーは「差異」に着目する。性別、人種、ジェンダー、階層などのヒエラルキーを構成する差異の観念が、差別現象には深く埋め込まれている。差異は社会的に構成されたもので時と場所によって変化する。差異はその前提として「所属」を仮設する。境界が固定され、相互浸透性がなく、構成員は所与のものであり、選択できないとされる。こうした分割のもとでアイデンティティが構成される。差異の上に支配的な規範が形成される。西欧社会における白人、男性、キリスト教徒、裕福という標識が確立し、支配と権力の「神話的規範」となる。差異が優位性や従属性の階層構造を生み出す。この構造が、労働、雇用、政治、性別、文化を通じていっそう強められる。ヘイト・クライムは社会における従属集団がよりよい地位を得ようとして優位・劣位の「自然な」関係を脅かすと、支配を再確立しようとして用いられる「道具」である。ヘイト・クライムは権力構造に深く根ざした抑圧の文脈で理解することができる。
しかし、ホールは疑問を呈する。ペリーの権力理論は個人の犯罪者と被害者との関係の複雑性を覆い隠すのではないか。権力理論が正しいならば支配集団構成員だけがヘイト・クライム犯罪を行なうはずであるが現実は違う。少数集団だけが被害者になるはずだが違う。権力理論では、犯罪者がどう考えているのか、被害者がどう感じているのか、誰が犯罪者になりうるのかを説明できない。権力の考察は重要だが、人間感情や人間行動を多面的に検討する必要がある。
研究の進展
ペリーの問題提起以後、ヘイト・クライム研究が盛んになった。ケリーナ・クレイグ「憎悪に基づく攻撃の研究」『攻撃と暴力行為』七号(二〇〇二年)は、規律と攻撃についての象徴的効果に着目して被害者集団の行動様式の変動を俎上に乗せつつ、犯罪者については社会、心理、政治、文化的な諸要因の総合研究を展開した。
レー・シビット『人種ハラスメントと人種的暴力の犯罪者』(内務省、一九九七年)は、ロンドンにおける人種暴動の研究をもとに、社会的文脈と個人の心理的要因の相互作用に焦点を当て、コミュニティにおける犯罪者の類型化を試みる。人種主義犯罪者は年齢も性別も問わないが、年代や性別によって犯罪化要因が異なる可能性を指摘する。年代別、犯罪表出のタイプ別の研究がめざされる。
マクデヴィット、レヴィン、ベネット「ヘイト・クライム犯罪者」『社会問題雑誌』五八巻二号(二〇〇二年)は、ボストンでの犯罪者、被害者、警察官への調査に基づいて類型化を試みている。①スリル、②防御、③報復、④使命の四つの性格づけと、犯罪者が単独か集団か、年齢、場所(被害者の領域か犯罪者の領域か)、武器・手段、被害者歴、偏見の有無、抑止などとを交差させている。
バイアー、クライダー、ビッガース「偏見犯罪の動機」『現代刑事司法雑誌』一五巻一号(一九九九年)は、サイクスとマッツァの理論を応用して、犯罪者が自己の行為を正当化する論理、手法を解明しようとした。アーミッシュに対するヘイト・クライムでは「中立化の手法」が用いられ、①傷害の否定(実害はないじゃないか)、②被害の否定(現実の被害者の無視)、③より高い忠誠(自分が属する集団の安全という言い訳)、④非難者に対する非難(被害者と称する者こそ犯罪者だ)、⑤責任の否定(他の諸事情への仮託)が試みられる。
ホールは、ヘイト・クライム研究は増え続けているが、なぜ人々がヘイト・クライムを行うのかの包括的説明にはほど遠いという。刑事司法がヘイト・クライムに効果的に対処するために犯罪者の正確な理解が必要である。人間感情としての憎悪は偏見に根を持つという仮説は確かであるとはいえ、単に偏見を有しているというだけでは不十分である。偏見を持っているからといって誰もがヘイト・クライム犯罪に走るわけではない。ホールは、むしろ誤った信念や否定的感情を犯罪行為に転換させる何ものかがあり、社会的、心理的、犯罪学的、文脈的な諸要因となっているはずだと考える。これら諸要因間の相互作用を具体的な文脈の中で理解する必要がある。憎悪という言葉は一つであるが、実は単一の感情や行動ではなく複合的な心理現象であり、それに応じた説明が必要であるという。